両親の一方が先に亡くなり、残されたほうがひとり暮らしになると、子どもとしては心配です。同居すべきか、本人の意志を尊重すべきか…。高齢とはいえ、親もひとりの人間。ひとりで生活できるうちは、あまりおせっかいを焼きすぎないのが基本かもしれませんが。
70歳を前にした父が突然の再婚報告!
ナオコさん(44歳、仮名=以下同)は結婚して14年。同い年の夫との間に12歳のひとり娘がいます。夫は自営業、ナオコさんは会社員。
ナオコさんの母親が亡くなったのは7年前でした。
「急だったんです。『夏負けしてだるい』と言っていたんですが、なかなかすっきりしないので病院に行ったら、検査漬けに。病名がわかったときにはすでに手遅れで、入院後2週間で亡くなりました」
まさか重病だとは思ってもいなかったとナオコさんは言います。見舞いにいくなかで、母も彼女も「すぐに元気になる」と信じていて、秋になったら一緒に旅行する約束もしていました。
ところが病名がわかって数日後、いきなり危篤の知らせでした。
「父と妹と私、夫と娘で信じられないまま、母を見送りました。母はおっとりした物静かな、優しい人でした。
65歳の誕生日の3日前に亡くなり、同い年の父はがっくりきたようで一時期、入院。ものすごく仲のいい夫婦でしたから、妹と『お父さんが心配だよね』と話していました」
妹は結婚して遠方にいるので、ナオコさんはなるべく週末には父を訪ねるようにしました。
ただナオコさん自身も家庭があり、そうひんぱんには行けません。毎日、LINEで連絡をとり、父を励ましたそうです。
「それでもなかなか元気がでないようでした。定年後も勤務先の系列会社で週5日、ほぼフルタイムで働いていました。週末はほとんど家にこもりきりでしたね」
ようやく父が「最近、趣味で卓球を始めた」「カラオケスナックに行くようになった」と言い始めたのは、母の死から3年たってからでした。
ホッとしたのもつかの間、3年前、突然父が「再婚した」と報告してきました。
再婚相手は元妻とは真逆のキャラクター
びっくりしたナオコさんは妹に報告。妹が上京してきて、ふたりで父の家に行ってみました。
「そのころちょうど私も忙しくて、2か月ほど父を訪ねていなかったんです。家に一歩入ってびっくり。
模様替えされていて、落ち着いたインテリアだったリビングは、ピンクの花柄のカーテン、ソファもピンクになっていました」
再婚した相手は、父が行っていたカラオケスナックに勤める女性。金髪と真っ赤なネイルに、ナオコさんは圧倒されたそうです。
「話してみたら明るくて気さくな人でした。ただ、物静かな母と対照的すぎて、私は気持ちがついていかない。でも父がよければ、私たちは何も言えません。
妹は帰り道、『多くはないけど家とか貯金、あるよね。あの人に半分持って行かれるね』と言い出して…。財産はともかく、母との思い出の家が変わっていくのが、私はせつなかった」
とはいえ、父に離婚しろというわけにもいきません。夫とも様子を見るしかないと話し合っていたそうです。
「1年ほどたったころ、父が『行ってもいいか』と急に連絡を寄越したんです。父の好きな料理を作ったら、『ミチコの味がする』って。ミチコというのは亡くなった母のことです。
食事はどうしているのと聞くと、『あいつはほとんど作らない。店で食べる料理はうまかったけど、それは別の人が作っていたらしい…』と。なんとも言えませんでしたね」
その半年後、父が病に倒れました。膵臓がんで余命宣告されると、“妻”は看病できないと連絡してきたのです。
「カッとなって、じゃあ離婚してほしいと私は言いました。すると彼女は、『あ、大丈夫よ。婚姻届は出してないから』って。提出するからと預かったまま出さなかったそうです。
おそらく店の権利などもあって、あちらも財産を狙われるのは嫌だったんでしょう。父にはそのことは最後まで言えませんでした」
ナオコさんはせっせと見舞いに通い、週末には外泊させて自宅で父と穏やかな時間を過ごしました。夫も娘も協力してくれたそうです。“妻”もたまに病院に来てくれました。
「父は最後まで、再婚したと思い、妻の手を握りながら息を引き取りました。“妻”とは葬儀を最後に連絡をとっていません。寂しいけど、父は幸せだったと思いたいです」
元気な高齢者が増えている今、いつ自分の親が同じような立場になるかわかりません。どこまで親の人生に介入するか、難しいところです。
文/亀山早苗 イラスト/前山三都里
※この連載はライターの亀山早苗さんがこれまで4000件に及ぶ取材を通じて知った、夫婦や家族などの事情やエピソードを元に執筆しています。