実の母親からは姉妹でひいきされて育てられた女性がいます。母は姉を愛し、妹の自分は愛されなかった。大人になっても自信がなく、自分の存在はフワフワしていた。そんな彼女を救ったのは、ある年の誕生日。ひとつの言葉が生きる実感をもたらしたと言います。

母に愛されてなかった、逃げたかった

「私の母親は、まったく私に興味がなかったんですよ。姉はかわいくて成績もよかったので、姉の習い事や塾の送り迎えが忙しくて、小学校のときはいつも犬と一緒に留守番。

 

父は仕事で出張が多く、家にいるときは私に声をかけてくれたけど、家庭はあまり顧みませんでした

 

そんな家庭環境で育ったユウコさん(36歳・仮名=以下同)は、子どものころから人と接するのが苦手でした。

 

そのため勉強ばかりするようになり、どの科目も成績はトップクラスに。高校卒業後、「最初で最後のお願い」と父に頼んで学費を出してもらい、大学へ進学しました。

 

「姉は母の期待通り、国立大学に進みましたが、2年生のときに心身の不調で退学。母は『私の人生の希望が絶たれた』と大騒ぎしました。

 

私はそのすきに上京してひとり暮らしを始めたんです。母からはたびたび、姉の看護のために帰ってこいと連絡がありましたが、母からの電話は着信拒否していました」

 

やっと自分の人生を歩き始めたものの、人とうまくコミュニケーションがとれなかったり、人との距離感がつかめなかったりと苦労の連続。それでも希望する企業に就職できました。

 

「社内のレクリエーションに誘ってくれた同じ部署の男性と、ときどきデートするようになりました。彼の物の見方や人への接し方がとても勉強になった。

 

私は恋愛も結婚もできないと思っていたんですが、そんな私に『つきあおう』と言ってくれて。彼は仕事も遊びも全力で楽しむタイプで惹かれていったけど、結婚と言われたときは怖かった」

 

自分に「いい家庭」が作れるはずはないと思っていたのです。

自分の嫌な過去を受け入れてくれた夫

彼に自分の境遇を話しましたが、具体的な話になると当時を思い出して言葉に詰まりました。

 

彼はそれでもいい、これから一緒に楽しい思い出を作ろうと言ってくれたそう。そして30歳のとき、そのひとつ年上の彼と結婚したのです。

 

「義父母はいい人でした。電車で1時間ほどのところに住んでいましたが、ほどよい距離感で付き合ってくれました。

 

結婚した翌年、子どもが産まれ、子どもってこんなにかわいいのかと。母はいつから私を嫌うようになったんだろうと考えることもありましたね」

 

子どもが産まれて6か月したころ、ユウコさんの誕生日に「うちの親がユウコの誕生日を祝いたいと言っているんだけど、どう?」と夫から打診されました。

 

子どもも連れてきてうちでゆっくりしてねと、義母からもメールが来たそうです。

義両親のサプライズに私は生きていいと実感

「行ってみたら、義父母と遠方から義妹も来てくれていました。テーブルの上には私の好物がたくさん並んでいて、有名店でオーダーしたケーキまで。

 

義妹は私の誕生石のネックレスをプレゼントしてくれました。義母からは『もし柄が気に入らなかったら、取り替えてもいいからね』と、高級ブランドのバッグを贈ってもらって。

 

誕生日を祝ってもらったのが初めてで、どうしたらいいかわからないほど感激しました」

 

バッグの中にはカードが入っていたそう。「あなたが生まれてきてくれてうれしい。これからも仲良くしてね。ユキコ&タカノリ」と書いてありました。義両親の名前です。

 

きっと夫からユウコさんの苦しい過去を聞いて受けてとめてくれたのでしょう。そこには「義父母だからといって、遠慮しないで」というふたりの願いがこめられていたようです。

 

「夫に出会って人生を大事に生きていきたいと思えるようになったけど、何かあると『消えてしまいたい』と考えることもあったんです。

 

でも、義両親は私の存在自体を認めてくれた。仲良くしてねと言ってくれた。心からうれしかったし、ありがたかった」

 

今は多忙なとき、義父母に「助けて」と言えるようになったユウコさん、5歳と3歳の子を抱えてフルタイムで働きながら、夫と協力しあって充実した毎日を送っているそうです。

文/亀山早苗 イラスト/前山三都里 ※この連載はライターの亀山早苗さんがこれまで4000件に及ぶ取材を通じて知った、夫婦や家族などの事情やエピソードを元に執筆しています。