モデルとしてさまざまな誌面に登場したMALIA.さん。あるゆるギャル誌に掲載され、当時のギャルの憧れの存在だったと言っても過言ではないかもしれません。10代のころから大人に混ざって仕事をしてきたMALIA.さんが学んだこと、そして仕事の中でぶつかった壁とは。
モデルとして鍛えられた『ViVi』時代
── 芸能界にはどこのタイミングで興味を持たれたんですか?
MALIA.さん:
別に芸能界に興味を持ったというわけじゃなくて、本当にあこがれてなりたかったのは、ギャル。ギャルって一生ギャルみたいなところがあるから今でもギャル。魂がもうギャルなんだと思います(笑)。
当時は『egg』って雑誌があって、とにかくそれに載りたくて必死でした。
で、中学生のときにストリートスナップに載りたいから、センター街を1日に何往復もして。
あるときやっと声かけてもらって、109の横で撮ってもらったの。それが中学3年生の終わりだったかな。
── そこからお仕事を?
MALIA.さん:
最初は『egg』、そこから『Ranzuki(ランキング大好き)』、『S Cawaii!』、『Popteen』…ギャル雑誌と言われているものにはひと通り出させてもらいました。
そこから、1年も経たないうちにモデルとしても呼んでもらえるようになって、いちばん長かったのが『Fine』。15歳から19歳までやらせて頂きました。
高校は日本じゃなかったんだけど、帰国したときに撮り溜めてくれたりとか、編集部の方がよくしてくださったんだよね。
中学生のときに渋谷109の前で写真を撮ってもらったと語るMALIA.さん
── 仕事を続けていく中で気持ちの変化などはありましたか?
MALIA.さん:
忍耐も体力も気合いも、モデルとしての根性が養われたのは『ViVi』での日々かな。
今じゃ考えられないような働き方だったから。1日でデニム100本撮る、なんていう企画があって、それを3人のモデルでこなすとか。それを回すとなると、てっぺん越えるけど、次の日の朝から撮影もなんていうこともあったし。
そのときに鍛えてもらったおかげで今の私があるんだと思っている、本当に感謝してる。
── 19歳まで、ということは、妊娠されたころでしょうか。
MALIA.さん:
長男を19歳で妊娠して、『Fine』は最後に表紙に登場させてもらって卒業しました。
『ViVi』は産後も復帰させていただいて。赤ちゃんを産んでから『ViVi』に出ていたモデルはそれこそ後にも先にもいないのかな。ママモデルがフューチャーされる時代でもなかったし。
母ではあったけど、シングルになる決意があったので、生計を立てなくちゃいけなかったから、とてもありがたかったです。
「やりたいから良くない?」としかじぶんの気持ちを表現できなかった
── お仕事で壁にぶつかったことはありますか?
MALIA.さん:
初めての妊娠のあとに、モデルに戻るというのは壁と言えば壁なのかな。
19歳のときにひとり目を産んで、産後3週間ぐらいでアパレルの広告をいただいて、家族に内緒で撮影に行ったの。そしたらまさかのビル壁面にドーンと出ていてバレた。
── バレ方がダイナミックですね。
MALIA.さん:
あれ、こんなに大きく出るんだ?って(笑)。全国の店内にも掲示していただくようなお仕事だったんだよね。
でも、彼が家庭にいてほしいタイプだったからそれで夫婦喧嘩の日々。
私はモデルとして表現したいな、とか、モデルのお仕事をいただけるうちはしたいな、と思っていたけど、今みたいに上手に自分の気持ちも伝えられなかったから、「やりたいから良くない?」ぐらいしか言えなかった。
もっと他にも方法はあったんじゃないかな、と今は思う。それを乗り越えるのがひとつの壁だったかな。
でも、その壁を乗り越えるイコール2人は離れるっていう結果になってしまったけど。両立は私にはうまくできなかった。
── 夫婦関係が離婚に向けて進んでいく中で後悔したことはありますか?
MALIA.さん:
ないですね。やり直せないし、何が起きたとしてもすべては経験。ママが「なんでも経験」って言っていたのは今になってわかる。
人は離婚が失敗だっていうけど、それも経験。次、そのシチュエーションになったときに活かそうって思ってる。
PROFILE MALIA.さん
マリア。1983年生まれ。経営者・モデル・タレント。4児の母。多数の女性誌専属モデルを務め、ファッションイベントにも出演の他、テレビ番組にも出演。2009年にはAnelaInc.を立ち上げ、幅広く活躍している。YouTubeチャンネル「MALIA. CHANNEL」やInstagram「malia_xxx」でも子育てエピソードなど公開。
取材・文/ふくだりょうこ 撮影/坂脇卓也