田中律子さん

「はじめはバイト気分でした」と芸能生活を振り返る田中律子さん。12歳から芸能活動をスタートし、モデル、CM、ドラマ出演と次々に活躍の場を広げていきました。なかでも、田中さんの名前が一躍全国区になったのは、ドラマ『愛し合ってるかい!』への出演だったと言います。いつも明るく元気な印象がある田中さんですが、実は何度か引退を考えたこともあったとか。お話を聞きました。

生放送で「思い出しただけでもヒヤヒヤします」

── 中学生のときに芸能界デビューされました。今までの芸能生活のなかで、印象に残っているお仕事はありますか?

 

田中さん:

めちゃくちゃいっぱいあるんですけど、『愛し合ってるかい!』(フジテレビ)は、印象深いですね。

 

小泉今日子さんとか、陣内孝則さん、柳葉敏郎さんも出演された学園モノのドラマでした。

 

先生役が小泉さんたちで私は生徒役。あと、和久井映見ちゃんも一緒でした。

 

当時、私は実生活でもリアル女子高生でしたが、撮影で京都に連れて行ってもらったり、スキー合宿に行ったり、すごく楽しかったですね。生徒役は同世代も多かったし、本当の学校みたいな感じで。

 

── 和気あいあいと。

 

田中さん:

中間テストとか期末テストの時期は、私たちのテストのスケジュールを優先させてくださって。数学が分からないって言えば、ADの方が撮影の合間に教えてくれたこともありました。ありがたいですね。

 

── チームで一体感があるというか。共演者の方々とも、交流はあったんでしょうか?

 

田中さん:

陣内さんは、ホームパーティに呼んでくださって。陣内さんのご家族と一緒にご飯を食べたことがあります。

 

キョンキョンもすごく可愛がってくれて。撮影中も、オフの日は一緒に買い物に行ったり、お家にお邪魔したり。しばらくして、子どもが生まれたときは、お祝いもくださったんですよ。

 

最近はなかなかお会いできてないですけど、すごく良くしてもらいましたね。

田中律子さん
キョンキョンの家にも遊びに行って

── 素敵なご縁ですね。その後MCとしても活躍されていきますね。

 

田中さん:

『王様のブランチ』(TBS)は、寺脇さんと一緒に初代の司会を担当させてもらいました。私が23、24歳の頃かな。今をときめく、くりーむしちゅーさんが「海砂利水魚」だった頃です。時代を感じますね(笑)。

 

── 少し懐かしいような気がしますね。『王様のブランチ』は生放送でしたが、いかがでしたか?

 

田中さん:

朝の9時半から14時近くまでの生放送でしたが、当時、あんなに長時間の生放送はほとんどなかったので、はじめに、スタッフさんから番組の説明を聞いたときに「嘘でしょ?」って。

 

でも実際、番組がスタートしたら、あっという間。ゲストも毎回多彩だし、本や映画、他にも自分が知らない情報がたくさんあって、いつも新鮮でした。

 

── 生放送ならではの緊張感とかあるんでしょうか?

 

田中さん:

1回ヒヤヒヤしたことがありました。

 

番組は、お昼前後に30分くらいニュースが入るので、その間は出演者も休憩していて。ご弁当を食べたり、メイクを直したり。でも、その日は気づいたら休憩が終わっていて。誰もカメラの前にいないまま、本番が始まっちゃってたんです…。

 

スタッフさんに大きな声で呼ばれて、慌ててスタジオまで走って「失礼しました!」って謝って。

 

── テレビを観ている側もびっくりですね!

 

田中さん:

生放送ならではのハプニングというか。思い出してもヒヤヒヤします。

「芸能界を引退します」と伝えていたのに

田中律子さん
気づいたら本番が始まっていましたと語る田中さん

── ところで、田中さんは中学生の頃から芸能界で活躍されていますが、競争の激しいと思われる芸能界において、田中さんが意識していることはありますか?

 

田中さん:

どうしてきたのかな…。気づいたら、ここまで続けさせてもらったって感じなんですけど。ただ、アイドルのときは、周りの人がどんどん変わっていってしまう様を見ていたので。私は変わらないでいようと思ってきました。

 

──というと?

 

田中さん:

たとえば、昨日まで仲良しだったのに、次の日、急にプィッて無視されたり。まぁ、ライバルだし、「あの子と仲良くしちゃダメよ」とか大人の意見もあったかもしれないですけど、やっぱり傷ついた記憶も残っています。だから、私はそういう風にならないようにしよう。自分を変えてまで仕事をしなきゃいけないんだったら、辞めようって思ってました。

 

── 自分は自分でいようと。

 

田中さん:

そうですね。

 

── では、ターニングポイントになったことはありましたか?

 

田中さん:

芸能界を引退しようかなって思ったことも何度かありましたね。でも、そう思ったときに、魅力的なお仕事をいただいたりして。『愛し合ってるかい』の撮影が始まるときもそう。高校生になって、そろそろ将来の進路を決めようって、引退も考えてたんです。

 

私の実家は美容室で、子どもの頃から、いつかは美容師になるんだろうなって漠然と思ってましたから。それが、ドラマに出てみたら予想以上の反響だった。「田中律子」という名前が初めて全国的に出たんです。

 

そこから、このドラマでお世話になったスタッフさんから声が掛かって、『101回目のプロポーズ』(フジテレビ)とか、その他のドラマにも出させて頂くようになりました。

 

── 次の活躍にも繋がって。

 

田中さん:

あとは、『目撃!ドキュン』(テレビ朝日)という番組に出ていたとき。ちょうど結婚・出産が決まったので、このときも引退を考えましたね。12歳の頃から芸能界で頑張ってきたので、当時は結婚したら家庭に入ろうかなって思っていて。事務所の社長にも「私、これで芸能界引退します」って伝えていたんです。

 

番組のスタッフさんにも、タイミングを見てその旨伝えようと思っていた矢先。

 

それよりも先に、番組のプロデューサーさんが「出産して、何月に復帰ね!」って声を掛けてくださったんです…(笑)

 

あぁ、私を待っていてくれる人がいる。そう思ったら、ちょっと嬉しいじゃないですか。

 

そんなこんなで、気づけば今も芸能界にいます。

 

── 周りのスタッフさんにも恵まれていたんですね。

 

田中さん:

ありがたいですね。ベストなタイミングで、いい出会いや言葉をいただいてきて、今に繋がっているような気がします。

 

PROFILE 田中律子さん

1971年東京都出身。タレント、女優。1990年にドラマ『愛し合ってるかい!』ほか多数出演。NPO法人アクアプラネット理事長・日本サップヨガ協会理事長。
取材・文/松永怜 撮影/阿部章仁