ドラマ『スチュワーデス物語』や『スタア誕生』で、冷酷な仕打ちやいじめに耐えながら成長する主人公を演じてきた、来年はデビュー40周年の堀ちえみさん(54)。
実生活では「病気」が何度も試練として降りかかってきたが、その都度、7人の子どもたちとの絆が深まってきたという。
ちえみさんには、最初の夫とに長男、次男、三男。2番目の夫との間に、次女と五男。現在の3番目の夫に、長女と四男がいる。
三男出産時には大量出血を
「最初は、1993年に三男を出産したときでした。低置胎盤だと診断されていましたが、出産後に大量出血。
意識が薄れていくなか、看護師さんの“起きなさい! 赤ちゃんは元気だから!”という声が聞こえた気がしました。
すると、“そうだ。私には赤ちゃんが”と思った瞬間、お花畑を走り抜けていた私の意識が戻り、目の前に分娩台の照明が飛び込んできたのです。
このときは生まれたばかりの三男に助けられたようなものでしたね」
次男のにらみつけるような顔が…
次の大病は2001年、34歳のとき。特発性重症急性膵炎(すいえん)だった。
「五男が生後8か月のころ、グアム旅行からの帰りに空港でパンッといような破裂音がして、それから激しい腹痛が始まりました。
膵臓が破裂して膵液が漏れて周囲の臓器にダメージを与える病気で、1か月の絶食と薬の投与で何とか退院することができました」
このときは生まれたばかりの五男と当時、9歳くらいだった次男に生かされたようなものだと堀さん。
「心配と不安で私をにらみつけるような次男の顔は、今でも目に焼きついています。
幼くして母を亡くすかもしれない怖れがあったのでしょうが、私も子どもたちのために“生きなくては”と強く思いました」
杖は使わずに長女と次女が
さらに、ちえみさんを襲った病は「特発性大腿骨頭(だいたいこっとう)壊死症」。2015年、48歳のときだった。
太ももの付け根にある大腿骨のボールのような部分が壊死してしまう病気で、命にかかわるものではなかったが…。
「結局、人工の股関節に置き換える手術をしました。リハビリもかなり大変でしたが、このときは長女と次女に助けられました。
痛みがあるときは杖を使うことも考えたのですが、芸能人という職業柄、人前でそういう姿を見せるのはよくないということで、長女や次女が肩や手を貸してくれました。
さすがに息子たちの手を借りるのは、いよいよ最期のときで、本人たちも照れていたのでありませんでしたがね」
その後も、「リウマチ」や「神経障害性疼痛(とうつう)」の痛みにも苦しんできたちえみさん。
これらの病気には効き目のある薬があり、安定したころの’19年に舌がんと食道がんに襲われたのは、本人だけではなく家族のショックも大きかった。
「でも、そんな子どもたちに励まされ生かされて、今の私があるので、本当に子どもたちを産み育ててきてよかったと思います」
人生の“おつり”の使い道は?
「今回のがんでは、人生の“おつり”をもらったと思っています。これからは、デビュー40周年に向けた準備とがんの啓蒙に努めたいです。
コロナでどうなるかわかりませんが、来年は私のデビュー40周年です。心配をかけたファンのみなさんに感謝を伝えるために、ひとつでも多くの曲が歌えるように、リハビリとボイストレーニングを頑張りたいです」
がんの啓蒙活動にも力を入れたいという。
「私が患った舌がんなど口中にできる口腔(こうくう)がんは、セルフチェックがしやすい反面、認知度が低いので私のように見逃されるケースが多いです。
私も発見が遅れて悔しい思いをしたので、同じ目に遭う人が出ないように知識を伝える活動も行っていきたいですね」
7人の子どもたちには今後…
子育てが終わったと言っていい“7人の子どもたち”については?
「自分の好きな道を、これからも歩んでいってほしいですね。孫の顔も見てみたいですが、頻繁には連れて来てほしくないです。
たぶん、一生懸命に面倒をみてしまうと思うので、自分の時間がなくなってしまいそうで怖いです(笑)。
聞くところによると、孫ってとてもかわいらしいそうなので」
“育児のベテラン”であるちえみさんだったら、10人以上のお孫さんの世話もしてしまいそう。
PROFILE 堀ちえみさん
1967年、大阪府堺市生まれ。第6回ホリプロスカウトキャラバンで芸能界入り。歌手や俳優として活躍し、‘83年にドラマ『スチュワーデス物語』も話題に。2回の離婚を経験して、現在は7児の母として、講演活動なども。近著に朗読付き絵本『10のことば』(扶桑社)。2022年にデビュー40周年を迎える。