大橋未歩さん

2018年に15年間在籍したテレビ東京を離れ、現在はフリーアナウンサーとして活躍する大橋未歩さん。社会人になって以来、仕事一筋でまい進してきた大橋さんが、脳梗塞を発症したのは34歳のときでした。「病気になって初めて自分自身を客観的に見られるようになった」という大橋さんが得た気づきや思い、そして人生を変える決断に至った経緯について語ってくれました。3回にわたってお届けします。

がむしゃらに働いたテレ東時代「プライベートはほぼ皆無。それが当然だと思ってた」 

── まずは、テレビ東京の社員時代のことから聞かせてください。どのような働き方をしていたのでしょうか?

 

大橋さん:

とにかく毎日忙しかったですね。入社半年で週末のスポーツニュースのキャスターに抜擢され、休日返上で取材に飛び回る日々でした。

 

テレビ東京は他局と比べてアナウンサーの数が少ないこともあって、新人でも大きな仕事を任されたり、現場に出て経験を積めるというありがたい環境でした。自分が熱望したアナウンサー職、しかもやりかったスポーツニュースに携わることができ、毎日楽しくて仕方がありませんでしたね。

大橋未歩さん

当時の上司からは「5年間はがむしゃらに仕事にまい進しなさい」と言われ、私も“プライベートはいらない!”くらいの気持ちで仕事に没頭していました。

 

2004年にはアテネオリンピックの取材に行かせていただいたのですが、アテネから戻った翌日に上司の元へ行き、「4年間がむしゃらに取材するので、次の北京も行かせてください!」と直談判。ひたすら取材を重ね、念願の北京オリンピックでは、自分なりに伝えるべきことを伝えられたと思いました。

 

でも、やりたいことがすべて叶ってしまったことで目標を見失い、燃え尽き症候群のような状態になってしまったんです。ちょうど30歳の頃でした。

大きな目標が叶った途端「その先の未来が描けなくなった…」

── それだけアグレッシブに仕事に向き合っていたのですね。もともと戦略的にキャリアを積み上げていくタイプなのでしょうか?

 

大橋さん:

当時はそうでしたね。目標を立てて、そのために必要なことを逆算しながらマイルストーンを設定していないと不安でした。そもそも上智大学に入ったのもアナウンサーの輩出数が多かったからですし。

 

でも、北京オリンピックの取材から戻って、2009年にスポーツニュースを卒業することになったとき、その先のビジョンが描けなくなってしまったんです。

 

そこから私の「キャリアの模索期」が始まりました。ファイナンシャルプランナーの資格を取ってみたり、報道の仕事を頑張ってみたり…。でも、どれもオリンピックの仕事のときの充足感を上回るものではなくて。

大橋未歩さん

── 32歳のときには、早稲田大学大学院でスポーツ科学研究科に進学していますよね。これはなぜですか?

 

大橋さん:

それも模索していた中のひとつでした。今まで自分が打ち込んできたスポーツの分野で何かできないかと考えたときに、スポーツニュースは若いアナウンサーに引き継がれるけれど、スポーツとビジネスを絡めたものなら、私にも携わることができるんじゃないかと思ったんです。

 

そこで、スポーツビジネスを学ぶために大学院に行ったのですが、そこでも自分が何を求めているのか、やっぱりよくわからなくて…。

 

脳梗塞で倒れたのは、ちょうどその頃、20131月のことでした。

病に倒れ「私の人生、これで終わりなのかな…」不安な日々の先に

── すごくショッキングなニュースでした。脳梗塞で倒れる前に、体に兆候はあったのですか?

 

大橋さん:

いえ、それがまったくなかったんですよ。子どもの頃はいつも野山で駆け回っていた健康優良児でしたし、大人になってからも風邪をひいてもすぐに治るし、もちろん入院をしたこともなく、大病とはまるで無縁でした。たまに過労で熱が出ると、解熱用の点滴を打ってそのまま仕事場に戻ったりもしていました。

 

自分が病気をするかもしれないなんて、まるで想定していなかった。けれど今、思えば、なぜだか疲れやすくなっていて、珍しく仕事を休みたいと思っていた時期でもあった気がします。でも体からの“声”に耳を傾けていなかった。自分の体を過信しすぎていたんですよね。

 

私の場合、首の血管が剝がれて脳梗塞になってしまったのですが、医師からは「ストレス性でもないし、コレステロール値も問題ない」と言われ、結局これといった原因は見つかりませんでした。

大橋未歩さん

── 倒れたときのことは、覚えていらっしゃいますか?

 

大橋さん;

断片的な記憶ではあるのですが、ろれつが回らず、うまく喋れなかったので、“これは脳に重大な問題が起きているに違いない”と直感しました。危ない状態だと察した家族が、救急車を呼んでくれたのですが、「もしかしたらもう喋れなくなっちゃうんじゃないか、仕事に戻れなくなったらどうしよう…」と不安が頭をよぎり、すごく怖かったことを覚えています。

 

そこから治療のために8か月間、休養しました。神戸の実家でもしばらく療養生活を送っていたのですが、血管が剥がれたままで、また倒れる可能性があるかもしれないということで、血管を人工的に拡張する手術をしました。今も首にチタンが入っています。

 

それまで一度も足を止めたことがなかった私が、8か月間休養していろいろと考えました。これまで見えていなかった様々なことに気づき、そこから人生や仕事に対する考え方が大きく変わったんです──

 

 

大病という予想外のライフイベントがきっかけで、必然的に生き方・働き方を振り返ることになった大橋さん。次回は、病を経て人生観がどう変わったか、それまでプライオリティが高かった仕事をどうシフトチェンジにしていったのかについて、詳しく伺います。

 

Profile 大橋未歩さん

フリーアナウンサー。1978年兵庫県生まれ。上智大学卒業後、2002年にテレビ東京に入社し、多くのレギュラー番組で活躍。2013年に脳梗塞を発症後、約8か月の療養を経て復帰。15年間勤めたテレビ東京を退社し、2018年にフリーアナウンサーに転身。現在、『5時に夢中!』(TOKYO MX) のアシスタントMCとしてレギュラー出演中。「東京2020パラリンピックの成功とバリアフリー推進に向けた鼎談会」メンバー、パラ応援大使に就任。パラ卓球アンバサダー、防災士としても活動。

 

6月オピニオン特集バナー

< 特集TOPに戻る >

取材・文/西尾英子 撮影/中野亜沙美 ヘアメイク/根本秀子