JRの種別は「特急」や「快速」「普通」など、私鉄と比べるとオリジナルな種別が少ないように思えます。そんな中、一際目立つのがJR東日本の「中央特快」「青梅特快」とJR西日本の「新快速」が挙げられます。一体、どのような列車なのでしょうか。

中央線のエース「中央特快」「青梅特快」

「中央特快」はJR中央線東京~高尾間、「青梅特快」はJR中央・青梅線東京~青梅間で運行されています。一部の「中央特快」は大月、富士急行線の河口湖、一部の「青梅特快」は武蔵五日市、高麗川でも利用できます。

 

「中央特快」の元の名前は「特別快速」です。1988年に青梅線に直通する「青梅特快」が運行されたことから、「中央特快」に変わりました。「中央特快」と「青梅特快」の停車駅は以下のとおりです。

 

東京、神田、御茶ノ水、四ツ谷、新宿、中野、三鷹、国分寺、立川からの各駅

 

快速運転を行う東京~立川間の距離は37.5キロ、所要時間は約40分です。車両はオールロングシートのE233系が担当します。中央線では「中央特快」「青梅特快」よりも停車駅が少ない「通勤特快」も運行されます。「通勤特快」は新宿~国分寺間、21.1キロはノンストップ。

ただし、ラッシュ時間帯に運行されるため、スピードは遅く、東京~立川間の所要時間は昼間の「中央特快」「青梅特快」と変わりません。「特快」と繰り返していますが、中央線には「快速」も存在します。「快速」は東京~中野間で快速運転を行い、中野から各駅に止まります。

 

ところで昼間の東京駅中央線ホームにいると「普通」が来ないことに気づきます。実は中央線の神田~中野間の各駅停車は並走する中央線・総武線緩行列車が担います。首都圏では長距離列車にグリーン車が連結されますが、201910月現在「中央特快」には連結されていません。

 

長距離を走る「新快速」

一方、JR西日本の「新快速」は長距離を走ることで有名です。西は兵庫県の播州赤穂、東は福井県の敦賀まで走ります。播州赤穂~敦賀間(北陸線経由)の距離は275.5キロ、所要時間は「新快速」で約4時間にも及びます。参考までに東海道本線、東京~浜松間の営業距離は257.1キロです。「新快速」の停車駅は以下のとおりです。

 

敦賀~米原までの各駅、彦根、能登川、近江八幡、野洲、守山、草津、南草津、石山、大津、山科、京都、高槻、新大阪、大阪、尼崎、芦屋、三ノ宮、神戸、明石、西明石、加古川、姫路からの各駅

 

一見すると停車駅が多く見えるかもしれません。しかし、京都~姫路間(距離130.7キロ)で中間停車駅は10駅しかありません。昼間時間帯における所要時間は大阪~三ノ宮間は21分、大阪~京都間は29分です。いずれも併走する私鉄と比較すると、ダントツに速いです。

 

新快速に使われる車両はオールクロスシート。朝夕ラッシュ時を走る一部の列車には座席指定車両「Aシート」が連結され、リクライニングシートが並びます。「新快速」が走る東海道・山陽本線にも「快速」「普通」が運行されています。

 

なおJR東日本とは異なり、湖西線や赤穂線に入線する列車もすべて「新快速」。京都駅で東海道線と湖西線で分かれる列車もあるため、行き先には十分に注意しましょう。

 

ところで「新快速」が登場した197010月号の時刻表では「特別快速列車」の略称である「特快」と書かれてありました。しかし国鉄の大阪鉄道管理局はすでに東京で採用された「特別快速」から「新快速」に変更しました。「新快速」は関西の中央に対するライバル心を表した列車でもあります。

「中央特快」「青梅特快」の前身「特別快速」と「新快速」の意外な共通点

どちらも各線のエースでありながら、まったく性格が異なる「中央特快」「青梅特快」と「新快速」。しかし詳しく調べていくと、意外な共通点がありました。それは登場当初から今日のようなエース級の活躍をしていなかった、という点です。

 

「中央特快」「青梅特快」の前身にあたる「特別快速」が登場したのは1967年のこと。当初は昼間のみの運行で国分寺には止まりませんでした。現在「中央特快」と「青梅特快」の昼間時間帯における本数は合わせて1時間に5本ですが、登場当初は20分間隔で運行されていました。国鉄時代には「特別快速」通過駅からブーイングが出され、本数が減らされたこともありました。

 

一方「新快速」が登場したのは先述したとおり大阪万博が開催された1970年。登場当初は昼間時間帯に、上下各6本しかありませんでした。1時間間隔で「快速」との所要時間にあまり差がなかったので、乗客からのウケも悪かったそうです。

 

「中央特快」「青梅特快」「新快速」とも地道に実績を重ね、乗客の支持を集め、今日の地位を築きました。個人的に「中央特快」「青梅特快」と「新快速」の歩みにあやかりたいものです。

 

文/新田浩之