③玉川上水

太宰治が入水し、その生涯を終えた場所である玉川上水。実際に太宰治と山崎富栄が水に入った場所はわからないままですが、三鷹駅から井の頭公園方面へと伸びる「風の散歩道」と呼ばれる道を進んでいくと、紫橋の手前に記念碑の置かれたスペースがあります。 この記念碑には、玉川上水が登場する太宰治の小説『乞食学生』の一節を抜粋したもの、そして太宰治の写真が刻まれています。 ふたりはこのスペースからもう少し紫橋へと寄ったあたりで入水したのだろうと推測されており、その場所には太宰治の故郷である青森県の金木町から運ばれてきた「玉鹿石」という石が置かれています。こちらにはレリーフや碑文などが全くなく、石にも文字等が刻まれていないため、あまり詳しくない方は通り過ぎてしまうかもしれません。 『乞食学生』の中で、「「四月なかば、ひるごろの事である。頭を挙げて見ると、玉川上水は深くゆるゆると流れて、両岸の桜は、もう葉桜になっていて真青に茂り合い青い枝葉が両側から覆いかぶさり、青葉のトンネルのようである」と、春の玉川上水を青葉のトンネルに例えた太宰治。玉川上水の緑の美しさ、自然の豊かさを自身の小説にも取り上げていた太宰治は、一体何を思って玉川上水に身を投げたのか……考えてもわからないことではありますが、その生涯に思いをはせながらゆっくり散策してみてはいかがでしょうか。


享年38歳というその短い人生の中で、実家との関係や女性との関係、自身の文章がなかなか認められないこと、病気など、いろいろなことに苦しみ翻弄されていた太宰治。その中で残された数々の名作は今なお人々に愛されています。 生誕110年という節目の年、新たな時代を迎えたこの2019年に、もう一度太宰治ゆかりの地を巡ってその足跡をたどってみませんか。そうした後に読む彼の小説は、きっとまた違う姿を見せてくれるはずです。