日本人ならその名前を知らない人はいないほどの文豪、太宰治。現在も広く愛読され、教科書にも掲載されている文学作品はもちろんのこと、その波乱万丈な生涯そのものに惹かれるファンも多いですよね。 1909年6月19日に青森県北津軽郡金木村、現在の五所川原市金木町で生まれた太宰治は、この2019年に生誕110年目を迎えます。その節目の年にぜひ訪ねてみたい、太宰治ゆかりの地をご紹介します!

 

①三鷹「禅林寺」のお墓

1909年6月19日、青森県に生まれた太宰治は、多くの人が知るところではありますが、自らその命を絶っています。それ以前にも4度の自殺未遂を起こしたり薬物中毒になったりと、さまざまなことに苦しんだ側面も目立つ生涯でした。1948年6月13日には山崎富栄という女性とともに玉川上水に入水。そして6日後の19日、くしくも39歳の誕生日である日の早朝に遺体が発見されました。 太宰治が亡くなった後埋葬されたのが、三鷹市「禅林寺」のお墓です。 東京都三鷹市は、太宰治が30歳の頃、結婚してしばらく経ってからその生涯を終えるまでを暮らした町。禅林寺の他にも、太宰治にゆかりのある場所がたくさんあります。結婚、そして三鷹への引っ越しは太宰治の作風にも大きな影響を与えたといわれており、この時期に『走れメロス』『女生徒』『富嶽百景』など広く知られる名作が生み出されました。作中にも三鷹周辺の店や風景などがよく登場するため、熱心な読者の方には馴染みのある土地でしょう。 禅林寺に太宰治が葬られることになったのは、もともと太宰治本人の希望もあったのだとか。『花吹雪』にも、禅林寺にある森鴎外の墓についての言及があります。「私の汚い骨も、こんな小綺麗な墓地の片隅に埋められたら、死後の救いがあるかもしれないと、ひそかに甘い空想をした日も無いではなかった」という一文にも太宰治の思いがにじんでいるように感じられますね。太宰治も見知っていた森鴎外のお墓、その斜め前あたりに太宰治のお墓があります。 太宰治の遺体が発見されその死が発覚した6月19日は「桜桃忌」と呼ばれています。太宰治と同郷であり三鷹で暮らしていた今官一によってつけられた名称で、死の直前に執筆された『桜桃』という作品ともつながることから、友人たちにも広く受け入れられ、毎年多くの人が集い太宰治をしのんでいたといいます。 もちろん太宰治と直接関係のあった人の多くが現在は鬼籍に入っていますが、今も太宰治の作品を愛するファンが集まる貴重な場となっており、禅林寺を訪ねる人は後を絶たないのだそうです。

 

②伊勢元酒店跡地「太宰治文学サロン」

「太宰治文学サロン」は、太宰治が家族とともに暮らした三鷹市下連雀にある記念館です。2008年、太宰治の没後60年と翌年の生誕100年とを記念して、太宰治も生前通っていた伊勢元酒店の跡地に開設されました。 小説にも登場する伊勢元酒店の跡地ということで、ただ訪れるだけでもわくわくしてしまう太宰治文学サロン。定期的に企画展示が開催される他、直筆原稿の複製、初版本、初出の雑誌など、太宰治に関係する貴重な展示品をいくつも見ることができる、ファンにとっては垂涎の場所です。ガイドボランティアが10時30分から16時30分まで常駐しており、土日休日は希望すれば三鷹駅周辺にある太宰治ゆかりの場所を実際に案内してくれるのだとか。太宰治の足跡を実際にたどってみたいという方にぜひおすすめです!