不妊治療のさなかに乳がんステージ2Bを宣告された、俳優の徳留歌織さん。「抗がん剤治療が始まると生理が止まる」というタイムリミットを前に、急ぎ「受精卵凍結」へと踏みきりました。命の治療と子どもを望む思いの狭間で、みずからもがんサバイバーである夫とどのように向き合い、乗り越えてきたのか。その胸中に迫ります。

不妊治療中に告げられた乳がん

徳留歌織
退院直後の徳留さん。愛犬と一緒にベストスマイルで

── 徳留さんは、2025年11月に乳がんと診断され、半年間の抗がん剤治療と乳房の全摘手術、再建手術を受けられました。乳がんとわかる前には不妊治療をされていたそうですね。

 

徳留さん:はい。夫とは1年半前に39歳で結婚し、生まれて初めて子どもがほしいと思うようになりました。夫の意向を確認したら同じ気持ちでいてくれたので、年齢的なことも考えて結婚直後に不妊専門病院に相談することにしたんです。治療を始めたときは39歳で、年齢も考えると最初から体外受精がいいのかなと迷ったのですが、まずは人工授精にチャレンジしました。

 

ところが、その最中だった2025年11月末に、医師から乳がんステージ2Bを宣告されました。その直後、すぐ思ったのが「治療前に受精卵(胚)凍結をしないと」ということ。というのも、抗がん剤治療が始まると生理が止まり、排卵しなくなることは医学的なエビデンスもあるそうなんです。抗がん剤の卵子への影響も心配していました。2025年から通っていたかかりつけの産婦人科医からも受精卵凍結を勧められ、ギリギリのタイミングで凍結できたようです。

 

やるべきことをやって、あとは結果は神のみぞ知るだという気持ちでした。乳がんでなくても不妊治療がすぐにうまくいったかはわからないし、これから先、もちろん子どもを授かる可能性もまだあると思っています。

 

また、私の場合、不妊治療の保険適用内で受精卵凍結ができたんです。私自身不妊治療中に乳がんを経験して治療費もかかるなか、保険適用内で受精卵凍結ができて、本当に助けられました。

 

私は利用していないのですが、39歳はAYA世代(一般的に15歳から39歳を指す)にあたり、この世代のがん患者を対象に、将来、子どもを授かる可能性を守るため、卵子凍結などへの助成制度があるそうです(自治体によって制度の内容は異なる)。

 

だから、いまパートナーがいない人でも、将来的に妊娠を望む可能性があるなら、卵子凍結を選択肢に入れてほしいなと思いました。私もがんになっても選択肢があると思えたし、諦めないでほしいです。

夫が「スーパーラッキーだったといつかわかる」と

徳留歌織
抗がん剤治療で髪の毛が抜けたため、坊主にするドキュメンタリー映画を撮影した徳留さん

── がんと診断されたあと、旦那さんとどんなやりとりをされたのでしょうか。

 

徳留さん:夫は実は、がんサバイバーで、同じがん患者の苦しみを経験した人なんです。そんな夫から、あるとき「スーパーラッキーだったっていつかわかるよ」って言われたことがあって。たしか、がんと診断され、半年間の抗がん剤治療を始めて少し経ち、髪の毛がごそっと抜けた時期でした。

 

ちょうどそのとき、「どうせ髪が抜けるなら」と私が坊主になるドキュメンタリー映画を撮っていたんです。撮影を始めた翌朝、なぜかすごく気分がよくて。朝から天気もいいし、その日も映画の続きを撮影する予定だったので、朝からお風呂に入っていました。お風呂から上がってさっぱりしたら、ふと「坊主になった意味あったな」と思えて。思わず夫に「私、がんになったことが自分にとってすごく意味があるんじゃないかって思えるんだ」と伝えました。

 

そうしたら、夫からは「もう少ししたら、がんになったことがスーパーラッキーだっていうことがわかるよ」と言われました。普通だったら言葉にしてはいけないと思うことを言ったのは、もちろん私だからなのですが、夫はサラッと言ったんですよね。当時の私は、別にがんになったことをポジティブには思えていなかったし、いつもの自分だったら受け入れられないと思います。それでも、その日はとにかくすごく気分がよくて、「そうかもなあ」って答えていました。

 

夫の言葉は特段の励ましのつもりもなかったと思うんですが、雲ひとつない晴れた空の下だったからなのか、その日は夫の言葉を素直に、自然に受け取れた気がします。抗がん剤治療を終えて、乳房全摘手術と再建手術を終えて、医師からがん細胞が消えたと言ってもらえた今でもそう思いますね。

 

── なぜラッキーだと思えたのか、当時のお気持ちは覚えていますか?

 

徳留さん:職業病かもしれないですが、俳優って経験が大事な仕事じゃないですか。いつか病気になった役を演じるときがくるかもしれない。そう思うと、私にとって学びの多い時間だと思いました。自分の体について一生懸命調べたり考えたり、いろいろな人の気持ちに思いをはせたり、自分が実際にがんを体験することで身体の調子がよくないときの状態、抗がん剤治療で生理が止まったときには更年期のような症状も感じました。たしかにしんどかったけれど、これらの経験もすべて、いつか役者の仕事の糧になるという気持ちがどこかにあったから乗り越えられたと思います。

夫がいたから罪悪感を抱えずに済んだ

徳留歌織
抗がん剤の治療中、食欲はあり食事もおいしく食べられたそう「10キロ太りました(笑)」

── 乳がんだと診断されてからここまで、ご主人の支えが大きかったのではないかと思うのですが、そう感じることはありますか? 

 

徳留さん:私、夫のことが大好きで、一緒にいられるだけで幸せなんです。いわゆるツインソウルなんじゃないかって思うほど。私は子どものころから「変わってるね」と言われることが多くて、自分でもその自覚がありました。心のどこかで、本当に私をすべて理解してくれる人はいないし、私もほとんどの人のことを理解できないという思いを生んでいたように思います。その寂しさを子どものころからずっと感じていました。

 

でも夫に対しては、お互いにすべて理解できると思うほど心の共通点があって。出会った日から今までずっと、初めて同種の生物に会えた感動が続いているんです(笑)。

 

そんな夫と暮らせている時点で幸せが担保できていることは私にとって大きな支えだったと思います。結婚直後の健康診断で要再検査と言われ、結局乳がんになってしまったけれど、まわりからは「病気が結婚したあとにわかってよかった」って言われます。そう思うと、がんになったタイミングを含めて、すごくラッキーだったのかなと思います。

 

── 受精卵凍結については、これからどうしたいなどお考えはありますか?

 

徳留さん:乳がんの残りの治療が終わって、乳腺科、婦人科両方の先生から許可が出たらすぐにでも体外受精に踏みきりたいです。夫は、私さえいればそれ以上は望んでいないと言ってくれますが、私の希望を叶えてあげたいとも思ってくれているようです。

 

もちろん、子どもが生まれたらすごく大切にしてくれると思うけれど、一番好きなのは変わらず私だと言ってくれて。夫のその言葉が、私が焦らずにいられたり、何か病気になった罪悪感などをいっさい感じずにいられる理由かもしれません。子どもができてもできなくても、これからも夫とラッキーな人生を一緒に紡いでいきたいと思っています。

 

取材・文:たかなしまき 写真:徳留歌織