平日は会社員、週末は旧帝大卒のメンバーで構成されるアイドルグループ「学歴の暴力」のメンバーとして活動するらむむらむさん。高学歴という華やかな経歴の裏には、幼少期からの過剰な期待と「頑張れない自分が悪い」と自分を責め続けた苦しい過去がありました。

親の期待に応え続けた子ども時代

らむむらむ
大学時代がターニングポイントだったというらむむらむさん

── らむむらむさんが活動されている「学歴の暴力」は、メンバー全員が旧帝大(明治から戦前に作られた、日本を代表する最高峰の7つの国立大学)卒のアイドルグループだそうですね。

 

らむむらむさん:そうですね、私は北海道大学出身ですが、他のメンバーも、東大や京大など旧帝大の出身者のみです。

 

── そこまで難関な大学出身者ということは、子どもの頃から勉強が好きだったのでしょうか?

 

らむむらむさん:両親が教育に力を入れていたんです。転勤族だったのですが、「都会の子はどんどん先取り学習をして、中学受験するんだ」と言われて。小学1年生から、上の学年の問題を解いていました。間違えると父親から叱られて。私なりに頑張っていたので、ショックだったのを覚えています。

 

学校のテストは100点が当たり前でしたし、小学校の高学年のときは県内模試でも、地元で1位じゃないと認めてもらえなくて。プレッシャーを常に感じていましたね…。友人関係でも「頭がいい子と仲よくしなさい」と言われたこともありました。頭のよさで友達を判断するのはおかしいと思って気にはしませんでしたが、当時は学校以外で友達と遊んだ記憶がないんです。ピアノに水泳が週2回、英語が週1回と、習い事ばかりでしたから。

 

── 中学生のときには、引きこもりがちにもなられたそうですね。

 

らむむらむさん:親の転勤で、中学2年生の頃に仙台に引っ越したのですが、クラスになかなか馴染めなくて。でも自分の部屋にこもっていると、親が心配して、24時間私の部屋のドアを開けて張りついて見ているんです。親が世間体を気にしているのもわかっていたし、このまま内申点が悪くなって高校受験に影響するのも怖かったので、泣きながら学校に行きました。担任の先生は話を聞いてくれて「親御さんは、ちょっと口出ししすぎかもしれないね」と言ってくれて。理解してくれる人がいることがありがたかったです。

 

── 高校は無事に進学されたんですか?大学はなぜ北大に?

 

らむむらむさん:希望の高校に進学できました。高校に入ってすぐから、「大学は、関東以北の旧帝大か慶應。浪人は禁止」と言われていて。そこを目指す以外にありませんでした。

 

部活は吹奏楽部に入っていたのですが、勉強と部活の両立がハードで、ほとんど家と学校を往復するだけの生活。赤点を取らないように必死な毎日でした。

 

受験では、親から指定されていた慶應に先に合格し、「これで受験勉強も終わりだ」と思ったのも束の間、突然「金銭的に慶應は難しい」と言われてしまって。指定された難関校に必死で受かったのに…びっくりですよね。焦って切り替え、なんとか北大に合格したときは「首の皮1枚つながった!」と心から嬉しかったんです。でも親からは「まぁ、及第点ね」と言われて。やっぱり認めてもらえないんだなと痛感しました。

「怠ける自分が悪い」と自分を責めて生きてきた

── 北大に進学した後は、ひとり暮らしをされるんですよね。親元を離れてみていかがでしたか?不安はなかったのでしょうか。

 

らむむらむさん:やることが多くて全部ひとりでやるのは大変でしたが、これまで何をするにも親の顔色を伺ってきたので、自由であることが何よりも嬉しくて。不安はなかったですね。むしろ「自分で選んでいいんだ」と。サークル活動で夜遅くなっても、何度も電話がかかってくるようなこともないですしね。

 

それに、大学で友達と家族のことを話しているうちに、「あれ?うちの家族は普通とちょっと違うのかも」と思うことが増えて。友達からも「らむちゃんの家は、ちょっと過干渉なんじゃない?」と言われるように。その時、ネットで「アダルトチルドレン」や「毒親」という言葉を初めて知りました。

 

それまで、「成績を下げちゃいけない」「上手に弾かなきゃいけない」と親のプレッシャーを感じすぎるあまり、「やりたくない」「やれない」と動けなくなってしまったことがあったんです。当時は「頑張れないのは、怠けてしまう自分が悪いんだ」と思っていました。だから、怒られても仕方ないんだろうなって。でも「もしかしたら、私が怠けていたわけじゃなくて、頑張れなかったのには理由があったのかもしれない。私は悪くなかったのかもしれない」と気づけたんですよね。