甲状腺がんの手術を経て、3年ぶりに舞台復帰を果たした元宝塚雪組トップスターの高嶺ふぶきさん。キーを下げ、歌えるのは数曲までという身体の制約を抱えながらも、その表情は晴れやかです。「頑張りすぎは自己満足、周りも疲れる」と語る彼女が、病気と復帰を通して手に入れた「心地よい脱力の極意」を伺いました。

「温泉大浴場で歌ってみて」復帰を決心

高嶺ふぶき
飲食店兼旅館の女将時代、自作のおしゃれ作務衣がよく似合う

── 宝塚歌劇団雪組男役元トップスターで、退団後も数々の舞台で活躍中の女優の高嶺ふぶきさん。2020年に甲状腺がん手術により思うような声が出ないと判断して引退し、山口県周防大島の飲食店兼旅館の女将に転身。その後、2023年の舞台復帰が大きな話題を呼びました。

 

高嶺さん:コロナ禍によるお店の休業などにより、女将を退職しました。地元の人に誘われたこともあり、島に残って次の事業について考えているとき、たまたま、宝塚歌劇雪組プレ100周年記念OG公演への出演依頼をいただいたんです。

 

引退して数年経っており、ふだん歌うこともなかったのですが、車の中で鼻歌っぽく試すと、また歌えそうな気がしました。そして、島の日帰り温泉の大浴場でひとりになったときに声を出してみると、案外、歌えるとわかったんです。高音が出なくなり、一音半くらいキーが低くなっていましたが、お風呂に入ってリラックスしているのもあって、よく響く大浴場で気持ちよく歌えました(笑)。

 

── 正式な舞台作品への復帰は、宝塚雪組OG公演の前に出演されたミュージカルだったと記憶しています。

 

高嶺さん:そうです。以前、出演したミュージカル『complex』の再演にあたり、作曲・脚本・演出を手がけた大野裕之さんが周防大島まで来て、誘ってくださって。以前と同じキーで歌うのが難しいならキーを下げるなど工夫して、声帯への負担を軽減するから、と。復帰に際して、気心の知れた仲間と思い入れのある作品なので、とても嬉しかったです。

キーを下げ、続けて歌えるのは数曲だけど

── かつての盟友である大野さんが現地を訪問して、高嶺さんの復帰を実現したんですね。復帰に際して、不安や緊張は感じませんでしたか?

 

高嶺さん:プレッシャーや不安はまったく感じませんでした。2、3年間、舞台から離れていても、長年の経験が血肉となり、私を支えているためです。もともと、私は緊張しないタイプ。さすがに宝塚時代の新人公演で主役を演じたときはものすごく緊張しましたが、そこから気づいたんです。緊張するのは自分の力量以上に、自分を上手に見せよう、人によく思われようとするからだと。このように気づいてからは、まったく緊張しなくなりました。

 

準備や練習をつくして、「これ以上はできない」と自分でも納得できる限界状態でお客さまの前に立ち、そのままの自分を見せればいい。「なるようになる」「お客さまにやっと会えた!」「これだけのパワーを客席に送るから受けとって」という気持ちなら楽しめます。逆に緊張すると、そのぶん余計なパワーや体力を使ってしまい、できるはずのこともできなくなって損するんですよ。

 

── トップスター経験者の言葉には重みがあります。復帰に際して、お客さんの反応は?

 

高嶺さん:再演で復帰したので、事情を理解してくれるお客さまに甘えている部分もあるかもしれませんが、「おかえり!」と優しく迎えてもらいました。手術のことを知っている方々からも「声にそれほど違和感を持たない」と公演後に感想をいただきました。

 

手術前、以前のようには歌えないと考えて引退しましたが、歌ってみたらじつは歌えた。私が歌い、演じることによりすごく喜んでくれる人がたくさんいる。これは「舞台に戻れ」と、言われているような気がしました。

 

── 私は2026年の同作『complex』の再々演を拝見し、素敵な歌声だと感じました。

 

高嶺さん:音程はキーを下げることで対応できても、力強く歌うために声帯周辺に力を入れるのが難しくなった、など変化はありました。ほかには、以前は続けて何曲でも歌えましたが、今は数曲までです。声帯の周りの筋肉が上手く動かないので、声帯に負担が集中し、風邪をひいたときのようにかすれた声になってしまうんです。

 

また、首のまわりにグルッとネックレスのように大きくメスを入れたため、今でも筋肉や皮膚のひきつれを感じ、首を上下左右に振るのが難しいことがあります。そのため、舞台でいろんな方向に向いても、自然に発声できるようストレッチして工夫しています。

 

ふだんから声帯に負担をかけないよう、首周りのストレッチをしっかり行い、冬場は筋肉が固まりやすいので、温めるよう心を配っています。とにかく、声帯に負担をかけない状態にして歌うよう、心がけるようになりました。以前は無意識だった発声も、今では「この声を出すときは、この筋肉を使っている」と意識して行い、ケアするように。これは、手術前にはなかった新しい発見です。

がんを経験「頑張りすぎは自己満足」だと気づいた

── 復帰が叶ってファンも嬉しいと思います。がんを経験して、人生観や価値観に変化が生じましたか?

 

高嶺さん:がんを経験して、自分ではどうにもならないことがあるとわかりました。どんなに努力しても変えられないこともあります。そのため、適当な「いい加減」ではなく、いい塩梅の「いい加減」で物事に臨めるようになりました。がんばりすぎず、楽しむほうがいい。がんばりすぎるのは、評価されようとする意識が強いからなので、まわりも疲れちゃうんですよね。まさに「過ぎたるは及ばざるが如し」で、日常でも舞台でも言えることです。

 

本番で本人はがんばった感満載でやっても、それは自己満足であり、お客さんを楽しませるためではありません。だから、宝塚時代も後半は頑張りすぎないことを心がけました。案外、ふっと力抜いてやっているときのほうが評判がよかったりしたんですよ。舞台の上で遊ぶくらいの余裕というか…。でも、力は抜きながらもパワー全開、それでいて楽しむ自分をお客さんに見てもらうみたいなイメージです。やっぱり、いい塩梅の「いい加減」が一番です。

 

── その変化は重要ですね。お話をうかがって、高嶺さんは経験から学ぶ姿勢を持つ、前向きな方だという印象を持ちました。

 

高嶺さん:どんな経験も、その後の人生にとってためにならないことはありません。何かしら得るものはあります。どのような経験であっても受け入れて、その中から自分に必要なポイントだけを選んでポジティブに使えたら、楽です。

 

人間、なるようにしかならないときもあるので、そんなときは受け入れる、と。人は病気でなくても、事故なども含めいつ死ぬか分かりません。だからこそ、自分に対してムリにプレッシャーをかけるなんてもったいないです。あとは制限のあるなかでも一部分はあきらめつつ、自分なりに楽しめる部分を持ち続けること。そうすれば張り合いが出て、がんばろうという前向きな気持ちを持っていけると思います。

 

取材・文:岡本聡子 写真:高嶺ふぶき