「かさぶたかな」と思っていたら、とれた後もジュクジュクして、再びかさぶたになるの繰り返し。自身の右目の下にできた異変に、当初は「そのうち治るだろう」と思い込んでいたキャシー中島さん。しかし、それは基底細胞がんでした。顔にメスを入れられる恐怖感を乗り越えられたのは、長男のある言葉でした。

顔のかさぶた「治るだろう」と思い続けて

キャシー中島
日本におけるハワイアンキルトの第一人者。2026年、長野キルトフェスティバルのトークショーで

── タレント、キルト作家として長年活動してきたキャシー中島さん。これまで2度、顔にできた基底細胞がんの手術を経験しています。最初に異変が現れたのは、右目の下だったそうですね。

 

キャシー中島さん:右目の下に、虫に刺されたような小さな赤いポツンとしたものができたんです。顔を洗っているうちにかさぶたになって、「これで治るかな」と思ったんですけど、ポロッと取れるとまだジュクジュクしてくる。そのうちまた、かさぶたができて徐々に分厚くなっていく。それを何度も繰り返していました。

 

痛くもかゆくもないから、繰り返すうちに「今度こそ治るんじゃない?」と思ってしまうんですよね。でも、半年以上たっても治らない。「これはふつうのできものじゃない。もしかしたら、悪いものなんじゃないか?」と、薄々感じ始めました。

 

── 悪いものかもしれないと気づきながら、病院で受診することはしなかったのでしょうか。

 

キャシー中島さん:切られるのが怖かったんです。もし、皮膚がんだったら、目の付近を5センチくらい切り取られるんじゃないかと勝手に想像していて。そう考えると、どうしても病院へ行く勇気が出なかった。「かさぶたが取れたら今度こそ治るんじゃない?」と思いながら、受診を先延ばしにしていました。

 

でも、それに気づいた娘の雅奈恵が、「ママ、それおかしいよ。絶対に病院へ行って」と、強く言ってくれたんです。「行きたくない」と私は嫌がっていたんですけど、子どもの声に押されて、しぶしぶ受診しました。

 

── 診察では、どのような説明を受けたのでしょうか。

 

キャシー中島さん:先生からがんの可能性を指摘され、細胞を取って調べることになりました。その後、基底細胞がんだとわかって、手術を受けることになったんです。ショックや悲しさというより、とにかく怖かったですね。手術となれば、ずっと恐れていたように顔の一部を切ることになる。どのくらい傷が残るんだろうという不安もありました。

 

家族に「がんだったよ。手術することになったからね」と話したら、長男の洋輔が「ママ、大丈夫だよ。今のママもチャーミングだから、そのくらい傷が残ったって、全然オッケーだよ。切っちゃいなよ」って。

「チャーミングだよ」に勇気をもらった

── がんと告げられ、顔の一部を切る怖さもあるなかで洋輔さんのその言葉は、キャシーさんにどう影響したのでしょう。

 

キャシー中島さん:すごく背中を押されましたね。「チャーミング」という言葉は、今でもずっと残っています。私の病気で家族まで一緒になって深刻になっていたら、私ももっと怖くなっていたと思うんです。でも、みんなに悲壮感がなくて、「大丈夫」と言ってくれる。そうすると、「じゃあ大丈夫なのかな」と思えてくるでしょう。洋輔も、そういうときの自分の役割をわかっていたのかもしれませんね。

 

── 家族に背中を押されて手術に臨んだものの、実際に顔にメスを入れるとなると、やはり怖さもあったのでは。

 

キャシー中島さん:もちろん怖かったですよ。勝手に5センチほど切られると思っていたら、実際は2センチくらい。ただ、かなり深いところ、骨の近くまでえぐり取りました。目の下は目立つ場所でもあり、縫わずに皮膚が自然に回復するのを待つ方法でした。手術台に横になって顔を覆われたときは、不安で涙も出ました。顔を切るというのは、やっぱり想像以上にショックでしたね。

 

術後に「今日から顔を洗ってください」と、言われたのにも驚きました。「こんなにえぐっているのに?」って。でも、傷に細菌が入るのが一番よくないから、きれいに洗って消毒するように言われました。それから少しずつ、皮膚が盛り上がって、傷も平らになっていきました。

 

── 最初の手術から5年後、再び基底細胞がんが見つかります。2度目のがん発覚をどのように受け止めたのでしょうか。

 

キャシー中島さん:「またか」と思いました。2度目だから何ともないというわけではありません。やっぱり怖くて気持ちも沈みました。今度は鼻の右横から頬にかけての、皮膚がよく動く場所だったので、「今回は縫いましょう」と言われて、24針ほど縫いました。

 

でも手術中は、先生に「細かくきれいに縫ってね。上手にできたらキルトを教えてあげる」なんて冗談を言っていたんです(笑)。かなり切ったので、皮膚を引っ張って縫っているところには少し引きつれもあります。でも、お化粧をすればほとんどわからないし、笑顔でいればもっとわからない。やっぱり笑顔が一番ですよ。

病気を恐れるよりも楽しむ人生にしたい

キャシー中島自宅
若いころのキャシーさんや家族の思い出の写真が並ぶ自宅の一角

── それでも、「またできるかもしれない」と不安になることはありませんか。

 

キャシー中島さん:「来たらそのときに対処すればいい」と思っているんです。できてしまったものはしかたない。それならきちんと見つけて、そのつど対処していけばいいと思うようになりました。今も定期的に診てもらっています。私は父がアイルランド系アメリカ人で、もともと肌の色素が薄いんです。それに、これまでできたのは右側ばかりなので、長年車を運転して右側から紫外線を浴びてきたことも関係しているのかなと、自分では考えています。

 

だから検診は欠かさないし、紫外線にも気をつけています。でも、ふだんから「またできたらどうしよう」と、怖がり続けてもしかたありません。できたら、そのときに対処する。そのくらいの気持ちでいたほうがいいと思っています。

 

── 起きていないことを恐れず、今ある現実を受け止める。キャシーさんらしいポジティブな発想ですね。2度の手術を経て、顔に残った傷や、年齢を重ねた今のご自身の姿については、どんな思いがありますか。

 

キャシー中島さん:今は、シワもシミも「頑張った勲章」だと思っています。皮膚がんで目の下を切ったことも、鼻の横を24針縫ったことも、ここまで生きてきた自分の一部です。過去には戻れないでしょう。だから今の私が好き。傷を気にして縮こまるより、笑って前に進んだほうがいいですよね。

 

── 2009年には、長女の七奈美さんを29歳でがんで亡くしています。その経験も、今の病気との向き合い方につながっているのでしょうか。

 

キャシー中島さん:そうですね。七奈美の闘病を通して、病気の事実は変えられなくても、そのときに「できることをするしかない」ことを、家族みんなが学んだと思います。だから、病気のことばかり考えて立ち止まっているより、今ある時間を大切にしたい。今見えている景色をまだ見ていたいなら、前を向いていたほうがいいと思うんです。

 

世の中には、きれいな場所もおいしいものもたくさんあります。ここにいる間に、私はいっぱい見て、いっぱい食べて、楽しみたい。いつか向こうの世界があるとしたら、七奈美に「こんな景色を見たよ。こんなおいしいものがあったよ」って、たくさん教えてあげたいなと思っているんです。

 

取材・文:西尾英子 写真:キャシー中島