子どもが急な病に倒れ、旅立つことは想像しただけでも胸が苦しいものですが、キャシー中島さんに起きた現実でもあります。29歳の娘を失い、塞ぎ込んだ心に周囲の優しさは届かず「平気なの?」と中傷も。自分でも動かない心に苦しむなか、なぜ赤いワンピースを着て外へ出たのか。「ようやく泣けた日」までの転機を伺いました。
結婚後に突如逝った娘「心のない日々だった」

── 親にとってわが子を先に見送ることは、計り知れない悲しみを伴うものです。キャシー中島さんと夫の勝野洋さんが長女の七奈美さんをがんで亡くされたのは2009年のこと。七奈美さんは当時まだ29歳でした。突然訪れたその現実を、どう受け止めていたのでしょうか。
キャシー中島さん:七奈美は前年に結婚したばかりで、新婚旅行から帰ってまもなく小細胞肺がんが見つかりました。これから新しい人生が始まるというときだったのに、とても進行が早く、数か月後の7月7日に旅立ちました。あまりにも突然で、現実を受け止めることができず、当時の記憶がすっぽり抜けているほどです。
それまで勝野家では、私は太陽に向かって咲くひまわりのように「みんな、ついておいで!」と家族を引っ張る存在でした。ところが七奈美を失って、その私が立ち止まってしまった。5人家族からひとりがいなくなっただけでなく、家族を引っ張っていた私まで沈み込み、家族のバランスが大きく崩れたんです。
── 家族を引っ張ってきたキャシーさんが、突然立ち止まって動けなくなってしまった。当時はどんな日々を過ごしていたのでしょうか。
キャシー中島さん:仕事は休まず、娘が亡くなって3日後には生放送のテレビ番組にも出ていました。現場に行けば笑顔が作れるし、元気に振る舞うこともできる。長く仕事をしてきたので、体が覚えているんですね。
でも、心はまったく別でした。仕事場ではみなさんが「大丈夫ですか?」と声をかけてくださる。夫も私を気づかい、次女は「私たちがいるじゃない」、息子は「お姉ちゃんはきっといいところにいるし、おかんが泣いてる場合じゃないよ」って。それなのに、どの言葉も風のように通り過ぎて心まで届かない。みんなの優しさを受け止められないことが、すごく悲しかったんです。
「どうしてなんだろう」と考えるうちに、自分が心の扉を固く閉ざしているからだと気づきました。このまま体と心がチグハグな状態を続けていたら、本当に心まで病んでしまう。そんな私を七奈美はどう思うだろう。「こんなふうに塞ぎ込んでいるママを、七奈美はきっと好きじゃないだろうな」と思ったんです。
──「こんなママを七奈美は好きじゃない」。その思いがキャシーさんを動かしたのですね。そこから、どうやって一歩を踏み出したのでしょうか。
キャシー中島さん:気持ちはすぐに変えられないから、まず身につけるものから変えていきました。黒やグレーをやめて、オレンジや赤などの明るい色を選ぶようにしたんです。それでも、家の中でジッとしているだけでは変わらない。だったら外へ出ようと、赤いワンピースを着てひとりで銀座へ出かけることにしました。七奈美が亡くなって2か月ほどたったころです。
街行く人たちを眺めていると、楽しそうに買い物をする人、談笑しながら歩くカップル、転んで泣いている子どもをあやすお母さんもいる。娘を失ってから私の時間は止まったままだったけれど、世の中は動き続けている。「止まっていたのは私のほうだったんだ」と、気づいたんです。
そのとき、少し気持ちが吹っきれました。それまで風のように通り過ぎていた周囲の言葉も、少しずつ心に届くようになって。「大丈夫?」と声をかけてもらうと、その優しさに涙があふれるんです。心を閉ざしていたときは、むしろ泣けなかったのに、心を開いてからは今でもよく泣きますね。
誹謗中傷?居場所があれば救われる
── ただ、少しずつ日常を取り戻していくなかで、ブログには心ない言葉が届くこともあったそうですね。
キャシー中島さん:「私の知り合いはお嬢さんを亡くして物が食べられなくなったのに、キャシーさんは平気なんですね」といった書き込みもありました。でも私は、「そんなに私のことを気にしてくれてありがとう」って思うようにしていたんです。だって、本当に嫌いなら、わざわざブログなんて見に来ないでしょう。それだけ私に関心がある、熱心なファンなのかしらって(笑)。
── ただでさえ大きな悲しみのなかにいるときに、そんな言葉を向けられたら、さらに深く傷ついてしまいそうです。そこまで発想を切り替えられるのはなぜなのでしょう。もともと気丈でいらっしゃるのでしょうか。
キャシー中島さん:たしかに、人の言うことをそこまで気にするタイプではありませんね。嫌なことがあっても、ひと晩寝たら切り替えられる。明日になれば、また新しい日が来るって。
それに、私にはたくさんの「チャンネル」があるんです。家では母親、キルトスタジオでは先生、メディアではタレント。10代のやんちゃなころから気心の知れた仲間もいる。どこかで嫌なことがあっても、別のチャンネルに切り替えればいい。ひとつの場所だけが私の世界じゃないですから。
── 居場所をいくつも持っておくことは、自分の心を守るための「逃げ道」にもなりますよね。
キャシー中島さん:そう思います。だから子どもたちや孫にも「ここだけがあなたの世界のすべてじゃないよ」と、伝えてきました。孫が学校で嫌なことがあったと言ったときも、「本当に大切な友だち以外は、道端の石ころくらいに思っておけばいい。卒業したらたいてい会わなくなるんだから」って。学校以外にも友だちはいるし、家にはじーじもばーばもいる。「学校で嫌なことがあっても、ここに帰ってきたら楽しいでしょ?」って聞くと、「うん」って(笑)。
悲しみは変わらないし、思い出は語っていい

── 七奈美さんが亡くなってから17年。時間がたつことで、悲しみは少しずつ薄れていくものなのでしょうか。
キャシー中島さん:悲しみは今でも変わりません。「どうして?」という思いが消えるわけでもないんです。でも、ずっと塞ぎ込んだままではいられない。私が立ち止まったままでは、家族までそこにとどまってしまうから。私が少しずつ立ち直ることで、家族もまた動き出せると思ったんです。
次女もずっとそんな私を見ていたから、「家族がバラバラにならないように、ずっと両親のそばにいよう」と思ったらしくて、今は二世帯住宅で娘夫婦と一緒に暮らしています。家族がそばにいてくれることが、今の私たちの大きな支えになっていますね。
── かつてはキャシーさんが先頭に立って家族を引っ張っていました。お子さんたちが大人になった今、その関係も変わりましたか。
キャシー中島さん:今はもう誰かひとりが引っ張るような家族ではないですね。手芸作家として活動する長男、女優や演出を手がける次女、それぞれが自分の足で立ち、得意なことを持ち寄って協力し合う。そんな「大人同士のチーム」になったと感じます。夫には、いくつになっても俳優として輝いていてほしい。だから家族で知恵を出し合って、夫が活躍できる舞台を作っているんです。私が原案やプロデュースを手がけ、次女が脚本・演出、長男が衣装監修を担当する。もう10年以上続けています。
今でもみんなで集まると、七奈美の話で盛り上がるんです。次女は七奈美と同じ学校に通っていたので、私たち親が知らなかった学校での話をしてくれることもあるんですよ。あの子は本当におてんばだったから、思い出話にはこと欠かない(笑)。家族でハワイへ行くときも、まずお墓に寄って「七奈美も一緒に行こうね」って声をかけます。今もすぐそばにいてくれているんだと感じますね。
取材・文:西尾英子 写真:キャシー中島