おっとりとした穏やかな印象からは想像もつかない、過酷な過去を明かしてくれたオダウエダの小田結希さん。父の暴力、夜逃げ、極貧、そして自暴自棄になった非行の日々──。16歳で騙されて預けられた愛媛の駆け込み寺での生活と、娘を信じて見守ることを決めた「母の覚悟」とは。人生を大きく変えた転機を伺いました。

自分の家は「ふつうじゃない」と気づいた日

オダウエダ
相方の植田さんと仕事中の小田さん

── 今では穏やかな話し方でおっとりした印象の小田さんですが、10代のころはいわゆる駆け込み寺に連れて行かれるほどグレていたというのは本当なのでしょうか?

 

小田さん:16歳の夏休みに自宅のある愛知から愛媛にある駆け込み寺に、母に強制的に連れていかれました。当時は定時制高校に通っていましたが、ほとんど家には帰らず、友だちや彼氏の家を転々とする日々。グレていたといってもコンビニでたむろっていたり学校をサボったりするくらいで、そこまで素行が悪いことをしていたわけではないですが、母から連絡が来てもほとんど返信していませんでしたし、たまに家で顔を合わせてもケンカばかりしていました。

 

── なぜ、そのようにグレてしまったのでしょうか?

 

小田さん:幼少期に父は母に対してひどい暴力をふるっていて、子どもが母への暴力を静止するのが普通だと思っていました。それで私が8歳のころにランドセルとリュックだけ持って夜逃げして母の実家で暮らすことになったのですが、最初のころは納屋を改造した部屋やボロアパートに住むなどとても貧しくて苦労しました。姉と一緒に100匹くらいザリガニを釣ってお母さんに「食べよう」と渡したことも。ゲーム機を買ってもらえなかったときは、ダンボールで作ったプレイステーションを自由研究で提出していました。

 

ただ当時は幼かったので、暴力や夜逃げはふつうのことだと勘違いしていたんです。でも、年齢を重ねて友だちの家などを見ていくうちに、周りの家庭のご両親の優しさを知ったり、当たり前に人に暴力を振るったりしないということを知りました。それで、「わが家はふつうではない」と気づいたんです。

 

人と比べるものではないということもわかっていましたが、円満な家庭の話を聞くと「いいな」と思ったり「私の気持ちはわからないんだろうな」と思ってしまうことがあり、人と距離を置きたくなりました。過去がどうしても消化できず、ストレスと感じるようになり、「今の環境から消えたい」と思うことが次第に増え、気づくとやんちゃな友だちの中に自分を置くようになっていました。

 

── それで家にも帰らなくなった?

 

小田さん:私の人生はふつうではないとあきらめるような心境で、中学校にも行ったり行かなかったりでした。高校も行くつもりはなかったのですが、母から「将来やりたいことを見つけたときに選択肢を広げておいたほうがいい」と説得され、定時制に通うことにしたんです。

16歳で駆け込み寺に預けられた

── お話を伺う限り、駆け込み寺に行くほどの非行ではないようにも感じますが、お母さんが小田さんを連れて行った理由はなんだったのでしょうか。

 

小田さん:母は自分以外にも私を見守る人が必要だと思っていたようです。ただ、近くに頼れる親戚などはいませんでした。そんななかで、愛媛の駆け込み寺の住職の講演会を聞き、「この人に預けてまともな生活をさせよう」と思ったようです。

 

ある日、母に「食事に行こう」と言われたので車に乗ったら、いつの間にか高速道路に乗って愛媛に向かっていて。嘘をつかれたことには途中で気づいたのですが、高速道路なのでおりることもできず、8時間かけて到着した愛媛の駆け込み寺に預けられることになりました。

 

最初は嘘をつかれたことへの怒りもありましたが、それくらい母を悩ませていたのだと気づき、諦めて駆け込み寺で生活してみることにしたんです。

 

── 駆け込み寺での生活はどのようなものでしたか?

 

小田さん:「携帯電話を没収されて、精進料理を食べる」という勝手なイメージを抱いていたのですが、そのようなことはありませんでした。朝起きて朝ごはんを作って食べ、洗濯やお風呂掃除をしたり、布団を干したりと、規則正しい生活をするだけです。過去に逃げ出した人もいるそうですが、バスを何本も乗り継がないと都心にでるのは難しいですし、私は一度も逃げ出そうとは思いませんでした。

 

── そうなんですか?

 

小田さん:駆け込み寺で生活を送るうちに、「人間らしい生活は悪くない」と思えてきたんです。駆け込み寺には私以外にも虐待をされて逃げてきた親子、薬で捕まって少年院から出てきた人、援助交際をしていた人など、それぞれ複雑な事情を抱えた人が集まっていました。そのなかにいると、「決して自分だけが不幸で特別なわけではない」と思えたんです。

 

住職は間違ったことをしたときは怒りますが、決して人格否定をしない、やさしいという言葉だけでは収まらない素敵な人でした。たとえばできないことがあってもそれを怒るのではなく、まず理由を聞いてくれます。それを聞いたうえで様子を見てくれたり、気にかけたりしてくれました。

 

駆け込み寺での生活はとても居心地がよく、つらいことはありませんでした。最近ではSNSで暴力的な言葉を多く見られますが、このときに否定的な言葉がない生活を送ったおかげで、ネット上の否定的な言葉には意味がないと思えるようになりました。