芸能というやりたい仕事を見つけ、親の反対を押しきって大学院を中退し、実家を勘当された河野泰佑さん。爆発した承認欲求の末に24歳で借金600万円を抱え、ゴミ箱の食べ物をあさる極貧の「家なし生活」へと転落してしまいます。すべてを失った絶望のどん底から、彼はいかにして人生を逆転させたのか。

スパルタ教育も全大学不合格「もう終わりだ」

河野泰佑
営業会社の代表取締役を務める河野さん

── 先日、31歳でBEST BODY JAPAN関東大会のベストボディ部門ミドルクラスで優勝してイケメンボディビルダーとして話題になった河野さん。ふだんはセールスプロモーション事業、BPO事業、人材紹介業などを行う株式会社ACT-Rの代表取締役を努めているそうですね。以前から運動をするなど、体を鍛えることが好きだったのでしょうか?

 

河野さん:体を鍛え始めたのは大人になってからです。というのも、僕の実家では父が勉強に関してとても厳しい人でした。家族仲はよく、基本的にはすごく尊敬できていい父親なのですが、勉強に関してはとにかく厳しくて。

 

大学に進学し、大企業に勤めてほしいという、父なりの親心だったとは思うのですが。大学進学までは勉強漬けの日々で、他のことに時間を割く余裕がなかったんです。

 

── それはなかなか厳しいご家庭で育ったんですね。

 

河野さん:そうですね。今とは時代が違うので勉強をサボったり成績が悪かったりすると手をあげられることもありましたし、本屋にある参考書を全科目・全種類買ってきて、それをすべて解いて、父に提出しなければいけませんでした。もちろん成績表もすべて見せなければならず、勉強の進み具合も細かくチェックされていましたね。

 

ただ、そんなに勉強していたにも関わらず、実は一度は大学に落ち、浪人して進学をしたんです。

 

── 受験に失敗したとき、お父さんはさぞかし怒ったのでは?

 

河野さん:「もう河野家は終わりだ」と、怒るというより、落胆していました。以来、家の中は会話もないような悲惨な状態に。その後なんとか許可を得て、1年浪人したのち、実家のある広島から関西の大学に進学し、ひとり暮らしを始めました。

 

父からたまに連絡は来るものの距離が離れているため以前ほどの厳しさはなくなり、プレッシャーから解放された環境で大学生活を送るようになりました。

爆発した承認欲求で気づけば借金600万円

── 大学進学後はどのような生活を送っていたのでしょうか?

 

河野さん:これまで勉強漬けだった反動からか、とにかく勉強以外にのことが楽しくて、ミスコンに参加したり、舞台のオーディションに参加したり、SASUKE出場を目指したり。もともと承認欲求が強いタイプだったのですが、高校まではそれが勉強で抑えられていたんだと思います。それが大学に入って爆発してしまい、それまであまり知らなかった芸能界に興味を持つように。結局、その道を目指すために学部卒業後に大学院を辞めることを決意しました。

 

── それはお父さんはさぞかし怒ったのでは?

 

河野さん:もちろんです。いつも味方でいてくれた母でさえ激怒してしまい、ほぼ勘当という形で連絡を取らなくなりました。それでも当時はどうしても挑戦したくて、親の反対を押しきって芸能活動にチャレンジすることを決めたんです。ただ、そううまくはいかず、大学院中退からわずか数年、24歳のときに借金600万円を背負うことになりました。

 

── 24歳で600万円はなかなかの金額ですね。

 

河野さん:最初はミスコンで賞を獲ったり、舞台のオーディションに受かったりと順調だったので、たいして仕事もないのに「どうにかなる」と楽観視しすぎてしまって。

 

「成功すればお金が入る」と考え、バイトもせず、生活のためにお金を借りまくりました。さらに、ものごとがうまく進まないストレスから、借りたお金で高価な買い物をして周囲に見栄を張ることも。そのような生活を繰り返していたら、24歳のときには借金が600万円になっていました。それでも当時はその金額がそこまで大変なことだということさえ気づかなかったんです。

 

ただ、周囲の同世代の友だちを見ると、社会人として働き始めていて、みんなキラキラしているんですよ。その姿を見ているうちに、自分はなにも成し遂げていないのに借金だけが増えているという周囲とのギャップに危機感を覚えるようになりました。

とても苦しい時代を過ごした自分だからこそ

河野泰佑
仕事の合間にトレーニングへ

── そこからどうやって借金を返したのでしょうか?

 

河野さん:親の反対を押しきり大学院を中退したので、実家を頼ることは当然できませんでした。さすがに芸能活動は諦めて、知り合いに紹介してもらった不動産営業の仕事をすることに。営業の仕事は歩合制だったため、契約が決まればまとまった金額がもらえるのですが、未経験の僕が最初からうまくいくはずもありません。当時は本当にお金がなかったのですがどうにかして借金を返さなければという気持ちはあったので、家も借りずにいろいろな場所を転々とするような生活を送ることにしたんです。

 

── 家がない生活ですか?

 

河野さん:友人の家にお世話になった時期もあったのですが、やはり共同生活は気を使うため出ることにして、そこからしばらくは住むところのないホームレスのような生活をしていました。公園や24時間チェーンの飲食店、スポーツジムで時間を過ごし、道でダンボールを敷いて寝たり、ゴミ箱に捨ててあるものを食べたり。

 

お客さまとアポのないときは単発のバイトをして。スーツケースに必要最低限なものだけを入れて移動する生活。とにかく節約して入ったお金はすべて借金返済に当てていました。

 

── 借金返済まではなかなか壮絶な日々だったと思います。どれくらいの期間、家のない生活をしていたのですか?

 

河野さん:1年くらいでしょうか。お客さまとアポが取れたら飛んでいき、ダメ元でもいいのでとにかく数をこなしていきました。契約が取れなかったときは先輩から細かいフィードバックをもらい、次に生かしてきました。

 

がむしゃらにがんばったおかげで努力が徐々に実を結び、借金は27歳のときに完済。しばらくは不動産業を続けていましたが、その後は自分のためというより、より世の中のためになるようなことをしたいと思い起業をしました。

 

── 世の中のためになる仕事ですか?

 

河野さん:以前に恋愛リアリティ番組『Girl or Lady 〜私が最強〜』に参加させてもらったのですが、そこで出会った経営者の人たちが世の中を良くするため、社会貢献をするために働いていたように思えたんです。生き方のベクトルが違い、視野の広いその考え方が素敵だと思いました。

 

僕自身、借金を背負ったときに手に職もなく、とても苦しい時代を過ごしました。昔の僕のように何者でもない人たちが営業スキルを身につけて何者かになれるように、会社を通して社会に貢献していきたいと思っています。

 

両親も最近では起業して一人前にやれている僕の姿を見て認めてくれるようになりました。たくさん心配もかけましたが、徐々に関係も緩和されてよかったと思います。

 

取材・文:酒井明子 写真:河野泰佑