「妻を失う」離婚危機に直面し、焦って自分を変えようともがいていた元モラハラ夫の太田基次さん。しかしその裏には、幼少期から「自分が困っていることすら気づけない」という深刻な生きづらさがありました。3年前に激しいめまいで救急搬送されて突きつけられた「発達障害」という診断。自分の加害性と障害に向き合った男性のこれまでに迫ります。
「自分が何を感じているかもわからなかった」子ども時代

── 現在は、心理カウンセラーとして、モラハラなどの夫婦関係の相談を受けている太田さん。ご自身もかつてはパートナーにモラハラをしていたことに気づき、自分自身と向き合うなかで「子どものころから、自分の気持ちに向き合えていなかった」と振り返っています。ご家庭では、学校であった出来事や自分の気持ちを話すことはあったのでしょうか。
太田さん:ほとんどありませんでした。鉄工所を経営していた父は、朝早くから夜遅くまで仕事で家にいませんでしたし、専業主婦だった母にも、その日、学校であったことなどを話した記憶はほとんどなくて…。
母から「学校どうだった」と聞かれることはあったと思います。でもそのときは、母からの質問に答えるだけで、自分から「聞いてほしい」と話すことはありませんでした。今振り返ると、自分が何を思っているのか、それすらよくわかっていなかったように思います。
── 自分の気持ちを話すという経験が、あまりなかったのですね。
太田さん:そうですね。子どものころから「自分の気持ちを話したい」という思いはなく、困ったことがあっても「誰かに話そう」と考えることもありませんでした。
今なら困ったことがあれば、「誰かに相談する」という選択肢もあるとわかります。でも、あのころは、そもそも自分が困っていることにすら気づいていなかったように感じています。
── 「困っている」と自覚していなかったとのことですが、今振り返ってみて、学校生活などで「つらい」と感じていた場面はあったのでしょうか。
太田さん:学校生活では、たくさんの「困った」があったように感じています。たとえば、授業で先生に当てられると緊張して頭が真っ白になってしまい、何も答えられなくなるんです。あれは恐怖に近い感覚でした。その影響からか、授業以外で先生と話すことにも、強い抵抗感を感じていました。
また、友だちとの雑談も苦手でした。興味のあること以外を質問されると、何を答えればいいのかわからなくなってしまうんです。だからいつも、その場をヘラヘラ笑ってやり過ごしていました。
── そのとき、先生や友だちに「困っている」と伝えようと思ったことはありませんでしたか。
太田さん:当時は、できないことがあっても、それが「当たり前」だと感じていたので「困っている」とか「わからない」と伝えたことはありませんでした。
苦しさを言葉にできないまま大人になって

── 社会に出てからも、苦しさを伝えられない感覚は変わりませんでしたか。
太田さん:はい。 23歳ごろから、父が経営していた鉄工所で働き始めましたが、手先が不器用な自分に製造業は向いていませんでした。でも「できません」とも言えず、その場その場をなんとかやり過ごすような日々。
その後、転職した先では、仕事も人間関係もうまくいかず、いじめにも遭いました。それでも誰かに相談したり助けを求めたりすることはできなくて。結果的に、精神的に落ち込み、1年ほど引きこもってしまう時期がありました。
── かなり苦しい時期だったのではないでしょうか。
太田さん:そうですね。このとき初めて「状況を変えたい」と思いました。でも当時は、何から変えればいいのかもわかりませんでした。だから「まずは自分の心を立て直したい」と考えて、心理学の養成講座へ通い始めたんです。
「自分がなぜこんなに生きづらいのか知りたい」。そんな思いが募っていた時期でしたね。
── 心理学を学び始めたことで、自分の気持ちがわかるようになった実感はありましたか。
太田さん:心理学を学び、その流れでカウンセラーの仕事に就きました。でもそのころの私は、心理学を「知識」として学んでいただけで、自分が何を感じているのかまでは理解できていませんでした。結婚してからも、自分の気持ちとうまく向き合えないまま妻と接していたので、夫婦関係を悪くしてしまったんだと思います。
── 自分の気持ちが見えるようになったのは、いつごろからでしたか。
太田さん:やはり、妻から離婚を切り出されたことが一番大きかったですね。「妻を失ってしまう」という焦りが、「自分自身を変えなければ」という気持ちにつながり、自分と向き合うきっかけになりました。
ジャーナリングを始めたのもこのころから。ジャーナリングとは、自己理解を深めるため、自分が何を感じたのか、何に腹が立ったのか、本当はどうしてほしかったのかをノートに書き出すことなんですけど。そうするうちに「自分の行動の背景には、こんな気持ちがあったんだ」「本当はこうしてほしかったんだ」と、自分の気持ちを少しずつ整理できるようになっていったんです。
次第に、妻に対しても「どう思ったのか」「どうしてほしかった」など、気持ちを言葉で伝えられるようになっていきました。
「やっぱりそうだった」発達障害の診断で安心も
── その後、発達障害の診断も受けられたそうですね。
太田さん:はい。診断を受けたのは今から3年ほど前です。突然、激しいめまいに襲われて救急搬送され、メニエール病という診断を受けました。しかし、その後も半年ほどめまいが治らず…。「自律神経の不調かも」と受診した精神科で、これまでの生きづらさや困りごとを話したところ、「ASD(自閉スペクトラム症)とADHD(注意欠如・多動症)に当てはまる」と医師から言われたんです。
── 診断を聞いたときは、どのように感じましたか。
太田さん:「やっぱりそうだったか」と安心しました。ASDは、対人コミュニケーションへの苦手さや状況に応じた対応に苦手さが見られることがあり、ADHDは、不注意や衝動性などの特性がある発達障害です。
なぜ、自分は人との会話が苦手だったのか。なぜ、自分の気持ちを言葉にすることが難しかったのか。仕事柄、発達障害についての知識はあったので、自分なりに工夫しながら生活してきたつもりでした。でも、診断を受けたことで、子どものころから感じてきた生きづらさの背景には、自分の発達特性も影響していたのだと、より客観的に理解できるようになりました。
── 今はご自身の気持ちを言葉にできるようになったと感じますか。
太田さん:以前よりはできるようになったと思います。昔の自分は、自分が何を思っていたのかもわからず、何か嫌なことがあっても「周りが悪い」と責めていました。でも、自分の気持ちを整理できるようになると、不思議と相手の立場や気持ちも考えられるようになっていきました。その結果、以前よりも人間関係が円滑になったような気がしています。
── 今、ご自身の子ども時代を振り返って思うことはありますか。
太田さん:あのころ、もっと自分の気持ちを言葉にする経験があったら、あるいは、「自分にはこういう苦手さがある」と知ることができていたら、人生は少し違っていたのかもしれません。もちろん、幼少期の環境や経験だけが原因ではないと思います。でも、自分が何を感じているのかを言葉にする経験は、本当に少ない子ども時代でした。だからこそ今は、自分の気持ちを言葉にすることを大切にしていきたいと考えています。
取材・文:佐藤有香 写真:太田基次