難病の診断まで25年「生死をさまよう経験も」
── エマさんは36歳頃に難病の慢性犠牲腸閉塞症(CIPO)との診断を受け、胃亜全摘出(胃の80%の切除)、ストーマ(人工肛門)を造設してオストメイトになったそうですが、その後も大腸全摘出や小腸軸捻転による緊急手術などをされています。そもそも最初に体に異変を感じたのはいつ頃でしたか。
エマさん:16歳から食べると急にお腹が膨れるようになって、苦しさを感じていたのですが「周りもこうなのかな」と思っていました。ところが症状はどんどん悪化し、法学部から医学部に編入して徹夜で勉強していた26歳のときにお腹の激痛で倒れました。
そこからありとあらゆるドクターを巡って検査をしたのですが異常が見つからず…。ようやく10年後に慢性犠牲腸閉塞症(CIPO)という診断名がついたのですが、心身性のものだと言われ続けて過ごしてきました。

── お腹の激痛で運ばれ緊急入院したこともあるなど、体調と向き合いながらも学びを続け、法学部から医学部に編入したそうですね。研修医時代の生活はいかがでしたか。
エマさん:起き上がっていると、空気を飲みこんでどんどんお腹が膨れてしまい、また、座っていると、消化管が全く動かず苦しくなるので、「横になりたい」と常に思っていました。横になれば、消化管内の食べ物や飲み物が一気に流れるので。体が思い通りにならないので授業も休むことが多かったですし、臨床の研修やオペの立ち合いにもあまり行けませんでした。
そのころ、病名がついていれば周りの目も違っていたかと思いますが、きっと「ただの怠け者だ」と思われていたと思います。食べても苦しくなるので、実習前は食べない日も多かったのですが、それも「過激なダイエットをしている人」だと思われていました。
── 体調と向き合いながら30歳で医師免許を取得されました。41歳で人工肛門を造設するオペを経てオストメイトになりましたが、あらかじめ予備知識はあったのでしょうか。
エマさん:実習や研修医の間も、オストメイトの患者さんと接する機会がありませんでしたし、恥ずかしながら、医療に携わっていた身であるにも関わらず、オストメイトという言葉は自分が41歳で当事者になって初めて知りました。ストーマを造ったオペの後、排泄物を受け止める透明のパウチがついて、自分の腸がソーセージのように腫れているのが見えたのですが、医療知識はあるものの自分の内臓の一部が出ていることには一瞬ひるみました。
それでも私の場合は、ストーマを造って、溜まってしまうガスを外に出せたら「楽になれる」というほうの気持ちが上回りました。「これで少しは苦しみから解放されるかもしれない」「ご飯が食べられるようになるかもしれない」と思うと、糸口を見つけてくださった方々には感謝しかありません。
先生から「これでトンカツを食べられるよ」と言われて喜んだのは、入院前にはもう固形物を食べられなくなっていたからで。食事ができないので、訪問診療を受けて、家で高カロリーの点滴をしていたのですが、ルートから菌が血中に回って敗血症になり、生死をさまよいました。今は51キロですが、その頃は45キロまで落ちてしまっていていました。