道徳の作文で「兄を助けたい」と書きたくなかった

── 目の前で暴力がふるわれるところを見るのは精神的ショックが大きいですよね…。お兄さんに対して、学校ではどういう反応があったか覚えていますか。

 

白井さん:小学校の道徳の授業では、「障害者を大切にしましょう」とか、「みんなで助けよう」とか教わるじゃないですか。でも放課後になると、同級生や上級生が兄をからかっている。家に帰れば母が家事と兄の世話で大変ななか、父は手伝いもしない。みんなパブリックなところでは障害者を助けましょうときれいごとを言っておきながら、プライベートでは厄介な存在に感じていて、関わりたくないと思っているのでしょう。そういう「本音と建前」が見えてしまって、大人や社会に対する不信感が募っていきました。

 

── きょうだい児は、障害のある兄弟姉妹や親のことを助ける「優しくてしっかり者」のイメージを持たれがちです。白井さんは道徳の授業で作文の課題が出たとき、先生から「いい題材があっていいね」と声をかけられたそうですが、暗にお兄さんのことを書けと言われているようですよね。

 

白井さん:作文で「兄を助けたい」と書けば褒められたと思いますが、それはしませんでした。ほかにも福祉や医療系の進路に進めば褒められるとか、いわゆるきょうだい児としての「正解」の生き方があるのはわかるんですけど、それは自分の本心ではないから、絶対にやりたくない。そういう「正解」に対する反発心が強くあって、高校や大学は医療や福祉とはまったく違う専攻に進みました。結局、常に「建前」の世界で生きなければいけない感覚があって、それが苦しかったのだと思います。

 

白井俊行
小さいころから世間の「本音と建前」に気がつき、苦しんでいた

── そういう苦しい気持ちは、ご両親に出せたタイミングはあったんですか。

 

白井さん:まず、困ったり悩みごとがあったら親に相談するという発想がまったくなかったです。さっき言った大人や社会への不信感から、小学校高学年から中学校のころに学校に行きたくない時期があって。行きたくないと母親に訴えたら、強引に手を引っ張られて行かされました。それからは、もう母親は味方にはなってくれない、言ってもしょうがないと…。家庭が安心できる場所ではなかったので、中学生ぐらいからは、この家ではないどこかに行きたいとずっと思っていました。

 

今まで自分が育ってきた環境が当たり前じゃなかったんだと気づいたのは、社会人になってからです。友達が親や家族と仲良くしているのを見聞きして、「親にそんなに相談するんだ」とか、「この人は家族のことをこんなに明るく楽しく人に話すんだ」と驚きました。

 

── 本音を言える場所や、心を許せる場所がなかったんですね。

 

白井さん:社会の本音と建前をずっと見てきていたので、兄や家族のことが嫌いだなんて言ってはいけない、自分の本音を言うところなんてないと思っていました。それで自分でも気がつかないうちに、うっぷんや黒い気持ちが溜まっていったんでしょうね。大学入学を機に家を出てからも、ずっと気持ちがモヤモヤして、気分が晴れない生活が続いていました。当時、ひとりでも自分の本音を言える友達や大人がいたら、人生がもっと前向きに変わっていたんじゃないかと思います。

 

取材・文:小新井知子 撮影:岡 利恵子(本社)