「昔はもう地獄絵図でした」と語るのは、東京都奥多摩町内の観光用公衆トイレの清掃をしている大井朋幸さん。トイレ清掃は「職業ランキングの最下位だと思っていた」と語る大井さんが目指すのは「世界一かっこいいトイレ清掃員」。見た目はイケオジの大井さんが、なぜ公衆トイレの清掃の仕事に情熱を燃やすようになったのか、伺いました。

トイレ清掃員に「大好きなカレーも食べられなくなった」

── 2017年から東京都奥多摩町の観光用トイレの清掃を始めたと伺いました。大井さん自身も利用したことがあるトイレだったそうですね。

 

大井さん:駅前のトイレを3回ほど使ったことがあったのですが、「息を止めて30秒で用を足さないと無理!」という感じで、本当に臭くて汚かったです。

 

大井朋幸さん
公衆トイレの床を這って磨く大井さん

みなさんもそれぞれに公衆トイレのイメージってあると思うんですが、当時は排泄物や嘔吐物、血液で溢れ、見たことがないような虫もたくさんいました。強烈な臭いで、吐きながら仕事をしていました。アンモニア臭で涙も出てくるんですよ。大好きだったカレーライスも絵的に食べられなくなりました。

 

── そもそもなぜ公衆トイレの清掃の仕事を始めたのですか。

 

大井さん:家族がこの仕事を見つけてくれたんですが、最初はごみ収集の清掃員の仕事だと思って面接を受けに行ったんです。ところが、言い渡された配属先は「新規事業の公衆トイレの清掃だ」って。

 

「ふざけんじゃねぇ。俺の人生にトイレ掃除はないだろう」と思いましたよ。その意味では僕がいちばん、この仕事を職業差別していたかもしれません。職業ランキングがあったら、最下位の、社会の底辺の仕事だと思っていました。

 

── でも、働くことにしたんですね。

 

大井さん:これまで料理人としてイタリアンやフレンチレストランで働き、腰を痛めたことをきっかけに、温泉施設で働いていたんです。でも、頑張りすぎてうつ状態との診断を受け、円形脱毛症になりました。1年間、家から一歩も出られない状態になって。その間、介護福祉士の妻が何も言わず家計を支えてくれていたんです。奥多摩はそもそも仕事が少ないし、娘もいるし、「もう、これはやるしかない」と。

 

── 実際に仕事をしてみていかがでしたか。

 

大井さん:毎日吐いていたので、8キロ痩せました。家族からも「もう限界じゃない?他の仕事を探そうよ」と言われたときは、「この言葉を待っていた!」と思いましたよ。1年も仕事をせずに養ってもらっていたというのがあったんで、やっぱり自分から「仕事を辞める」というのは言い出しづらかった。さらに、同じタイミングで、娘が学校で「パパの仕事のことでいじめられた」と言って帰ってきました。娘には申し訳ないけど「ラッキー!これで辞める材料が揃った。辞表が出せる」と思いましたね。

「パパ、なんでこの仕事してるの」娘の涙で火がつき

── 娘さん、学校で何があったんですか。

 

大井さん:当時小学1年生だった娘が同級生から「臭いとか、汚いとか、うんこって呼ばれた」って。「パパ、なんでこの仕事してるの」と泣きながら帰ってきました。

 

娘の同級生は人数が少なく、保育園から全員のことを知っていて家族ぐるみで仲がいいんです。しょっちゅうみんな家に泊まりに来ます。娘は泣いてましたけど、僕はこれが陰湿ないじめだとは思わなかったんですよ。

 

うんこって、子どもの頃は、ものすごいパワーワードでみんなの大好物じゃないですか。なんでいつしか負のイメージになっちゃうんだろう。今でも不思議なんですが、娘の涙を見たときに、電気が走ったような感覚でスイッチが入ったんです。「トイレ清掃という負のポテンシャルを、真逆に変えた未来を見てみたい」って。世間のイメージを覆して、誰もが憧れるような「かっこいいトイレ清掃員」になってやろうと思いました。

 

── 仕事を辞めるどころか、火がついたんですね。まずは何から着手したんですか。

 

大井さん:みんなが嫌だと思う仕事をとにかく楽しむための研究をしてみようと思いました。温泉施設の仕事経験で、掃除の薬剤のことは詳しかったので、どうしたらトイレがピカピカになるか工夫して。あとはとにかく、仕事への良いイメージを作るんです。「テレビにも出るし、新聞や雑誌にも取り上げられて、奥多摩は世界一有名なトイレになる。子どもたちが僕の周りにやってきて、人気者になって…」という感じです。当時はSNSもやってなかったんで、地元の方に自分が思い描いていることを、とにかく口頭で伝えることから始めました。