勉強も部活もダメな自分「逃げよう」と不登校に

── 中学生になり、拓人さんの意識に変化はありましたか?

 

拓人さん:小学生のときは社会や理科・算数などのストーリー仕立てになっている教育漫画を読んでいたので、宿題をせず、授業を聞いていなくても、いい成績がとれました。でも、中学校では授業中に別のことを考え、違うことをしていたら当然授業についていけなくなり、成績は悲惨なことに。

 

高身長なこともあって中2からバスケットボール部に入りましたが、練習がきつくて部活に行けなくなり、学校も休みがちに。勉強も部活も努力や忍耐や工夫が必要ですが、自分はそれがイヤで向き合うことができなくて、すぐ逃げてしまう。それまで、努力して苦手なことを乗り越えた経験がなかったんです。勉強もできない、部活も続けられない、自分は何もできないダメな人間だと落ち込み、まわりにどう評価されるのか怖くなって、「誰にも会いたくない」と、不登校になりました。

 

堀内拓人
中学生の拓人さんは、努力できない自分に苦しんでいた

── 勉強も部活も、学校生活の大部分を占めるのでつらかったでしょうね。不登校中はどんな日々でしたか?

 

拓人さん:私の通った中学校には保健室登校(1時限目で終了)という制度があったので、週2回は通級指導教室に、週3回は保健室に通いました。「この状況をなんとかしなければ」と考えながらも、保健室登校が1時限目で終わると毎日、古書店に行って漫画本を読み漁っていました。

 

「勉強についていけないから、高校なんで行けるはずがない」「毎日学校にいけないのに、働けるわけがない」。当時は将来について恐怖しかありませんでした。クラスメイトに会うことを意図的に避けていたのですが、担任の先生がクラスメイトに会ったり、教室に行ったりするきっかけをくださり、最初は体育の授業だけ、次は給食も、そして他の授業も受けてみようとなり、最終的には不登校状態を終えられました。

 

バスケットボール部は続けられなかったのですが、体育の授業中に部員の人が私に前向きな声をかけてくれたことで、自分のなかにあったわだかまりが消えました。自分が恐れていたほど、周りは自分を悪く思っていないんだと気づいた瞬間でした。

 

── 担任の先生や周囲は拓人さんのことを気にかけていたのでしょうね。将来を考えるうえで、ご自身の発達障害に向き合ったのはいつですか?

 

拓人さん:中3のころ、ADHDに関する書籍『おっちょこちょいにつけるクスリ』(高山恵子著)を母が読んでいたので、手に取ってみると、かなり自分にあてはまることがわかりました。母に「ここに書かれている高山恵子さんのご経験と私の経験は重なります。私はADHDなのでしょうか?」と、聞きました。

 

祐子さん:あれは拓人に読ませようとしたわけではなく、偶然でした。拓人には「あなたは自閉スペクトラム症とADHDだよ。でも、歴史上有名な人や社会を発展させてきた研究者や発明家・起業家のなかには、自閉スペクトラム症やADHDの人がたくさんいるように、世の中に必要な人たちだよ」というふうに伝えました。

 

拓人さん:診断を知っても、自分のなかで変化はありませんでした。そのため、発達障害だからダメなのではなく、勉強も部活も努力できない「自分がダメなんだ」という考えは変わりませんでした。ただ、高校進学に関しては発達障害である点に配慮しながら進路を調べ、母と見学や体験に行きました。