「ふつうの子を育てたい」と言って傷つけたことも

── 振り返って、母親として初めて発達障害に向き合ったとき、どのように感じましたか?

 

祐子さん:長男にはADHDがあるかもと予想していましたが、自閉スペクトラム症もあるという診断結果に驚きました。でも、診断のおかげで、「親の育て方が悪い」とまで言われたことや親子間のバトルなどが「自分のせいでも、長男のせいでもない」とわかってホッとしました。

 

その後はスクールカウンセラーに相談したり、自治体の教育相談所に通ったりして、情報収集しました。この教育相談所には、末っ子が19歳になるまで通い続けました。相談員からの子育てアドバイスよりも、とにかく私には子どもたちについて話をする場が必要だったんです。毎回、子どもたちとの日々の出来事を話すのが主でしたが、精神的に助けられました。

 

4人の子どもは不登校や不登校気味でした。でも、今はみんな社会人になり、家を出て自立していますし、やんちゃだった長男は会社を経営し、一緒に講演活動をしています。

 

── 子育てでいちばん気をつけていたことはなんですか?

 

祐子さん:「本人の意志を尊重すること」と「人格否定しないこと」、それが子育て方針のなかでいちばん大事にしていたことです。私自身、意志の強い、変わった子どもだったらしいのですが、手を焼いた父に「そんな人間ではダメだ、社会の役に立たない」と人格を否定され、矯正されそうに。その経験が嫌だったので、「自分は絶対にやらない」と決めていました。

 

振り返れば、父なりの愛情で、私の将来を心配しての言動だったとは思うのですが、結果的に私は自己肯定感の低い不安定な子になりました。反対に母は私の人格を否定せず、尊重してくれたんです。小学校に入学した私は「小1になったので、学校のことは指図しないでください」と言ったそうですが、母はその約束を守り、宿題や勉強に口出しすることはありませんでした。もちろん、悪いことをしたら怒られましたが…。

 

「自分がされて嫌だったことは子どもにはしない」と心に決めていましたが、とくに次男はガラスの心を持った繊細な子だったので、気をつけました。でも、ただ一度だけ、拓人をすごく傷つけたことがあります。高校時代、拓人が毎日しんどそうに学校に行く姿を見て、私も疲れていたんだと思いますが、つい「ふつうの子を育てたい」と、口にしてしまったことがあって。拓人に「ふつうの子ってどういう子ですか?」と聞かれて、「毎日苦しまなくても普通に学校に行って、部活もバイトもできる子」と。ひどいことを言ってしまいました。

 

翌日、拓人が「お母さま、ふつうの子になることに決めました。ふつうの子はお母さまのことを『ババァ』と呼ぶらしく、その『ババァ』とは話さないそうです。私はお母さまを『ババァ』とは呼べませんが、あなたとはもうお話しません」と言われて。もうどうしようかと思いました。でも翌日、映画のDVDを観ようと誘ったら何ごともなかったかのように一緒に観てくれたのでホッとしました。

 

決して子どもたちの人格を否定しないと決めていましたが、日々の疲れがたまり、つい口にした言葉で拓人を傷つけてしまいました。幸い、息子との関係はもとに戻りましたが、人格否定がいかに相手の心にダメージを与えるか、身に染みました。だからこそ、嵐のような毎日のなかでも「相手を否定せず、そのままを受け入れる」を、改めて肝に銘じて今日まで過ごしてきました。

 

取材・文:岡本聡子 写真:堀内祐子、堀内拓人