強い「死の恐怖」に襲われた18歳の誕生日

愛迷みんみん
愛迷さんと担当医。温かい見守りのなか治療に奮闘した

── 大人になったからこそ、当時のお母さまの複雑な心境を想像することができますね。

 

愛迷さん:そうですね。寛解後も、さまざまな後遺症や副作用が残っていましたが、母が支えてくれていたから乗り越えられたと思っています。でも、私が高校3年生のとき、母が大きな事故に遭ってしまい…。あのときの恐怖は今でも忘れることができません。

 

── どのような状況だったのですか?

 

愛迷さん:原付バイクに乗っていた母が、10トントラックにはねられたんです。

 

その日、私は側弯症の手術のために入院していました。長期間、放射線治療を受けてきた私は、脊柱が曲がってしまい、手術をして治すことになっていたんです。翌日は私の18歳の誕生日。お見舞いに来てくれていた母は、「明日は誕生日ケーキを買ってくるからね」と言って帰っていきました。その直後、事故に遭ったんです。

 

翌日の誕生日に来たのは、母ではなく、父と祖母でした。父から、母が事故にあったことや、私と同じ病院のICUに入院していることを聞きました。このときほど、恐怖を強く感じたことはありません。大切な母がいなくなってしまうかもしれない。自分ががんだったころよりも、死を間近に感じた瞬間でした。

 

── その後の容態は…?

 

愛迷さん:母は片足を切断することになりましたが、命は繋ぎ止めました。私の手術も無事に終わり、母娘で並んでICUに入っていたことを、今でも鮮明に覚えています。

 

でも、ここからが母のすごいところで。2年間の入院やリハビリを乗り越えた母は、義足になっても臆せずに外に出ていき、趣味として卓球をスタート。そうしたら、どんどん上達して、全国障害者スポーツ大会の市の代表選手に選抜され、優勝までしてしまいました。今では、私よりも歩くスピードが速いくらい(笑)。本当に、母のパワーには昔も今も驚かされてばかりです。

「治って終わりではなかった」今も続く後遺症

── 側弯症以外にも、今でも残っている後遺症があるそうですね。

 

愛迷さん:はい。心不全、片肺機能不全、左腕の可動域の制限があります。幼少期に大量の放射線を浴びたため、このような後遺症が残り、現在も薬を飲み続けながら、悪化しないようにコントロールしています。

 

── 日常生活にも制限があるのではないでしょうか。

 

愛迷さん:そうですね。階段を上るだけで息が切れてしまいますし、左腕が肩より上に上がらないので、わが子を抱っこするのもひと苦労です。

 

でも、病院の先生や母、パートナー…みんなに支えられてきたから、病を乗り越え、後遺症と向き合いながら生きていられると感じています。特に母の存在は、私の人生そのものを支えてくれていると思います。今、自分も母になったからこそ、あのころの母の強さと愛情の大きさを、改めて実感しています。

 

取材・文:佐藤有香 写真:愛迷みんみん