「嫌になったら、逃げたらいい」。実家の寺を継ぎ、住職になった英月さんは20代の頃から親の勧めで35回以上ものお見合いを繰り返してきました。「でも自分の人生を他人に決められること自体が耐えられなかった」と、縁談を断り続けた結果、心身は次第に蝕まれていって。お見合いから逃げたい一心で、アメリカへと渡る決意をします。
恋愛結婚はドラマの世界だと思っていた

── 京都の中心にある大行寺で生まれ育った英月さん。弟さんが寺の跡取りとして育てられていたので、幼少期は「寺の娘」を意識することはなかったそうですが、親族のほとんどがお見合い結婚だったこともあり、20代から親に勧められるままに、実に35回以上もお見合いをされたそうですね。
英月さん:実家が寺なので、寺同士の結婚が多くて。お見合い結婚が当たり前という環境だったんです。だから「恋愛結婚はドラマや映画の世界の話」だと思っていました。
しかも私は身長173㎝。母からは「あなたは大きいし、かわいくもないし、賢くもない。唯一のとりえは若さだから、若いうちにお見合いしなさい」と、20歳の頃からお寺の方との縁談を勧められてきました。
── 早すぎるお見合いに抵抗はなかったですか。
英月さん:親に学費を出してもらって短大を卒業し、銀行に勤め、食費を家に入れていたとはいえ、まだまだ親の庇護下(ひごか)でしたから。それに就職の次は結婚と言われていたので、早すぎるとは思いませんでした。
── 決して積極的なわけではなかったんですね。
英月さん:最初のお見合いの時は断るという選択肢がないと思っていたので「この人と結婚するのか」と思っていました。ただ、どうしても受け入れられない何かがあって…。お見合いした方々はみなさん立派なお家の方たちで、経済的にも恵まれている。お相手の家族も「どうぞ来てください」と熱烈ウェルカム。文句ひとつ言うことはなく、お断りするような理由はないんです。
それでも他人に…といっても血のつながった両親ですが、自分の人生を決められてしまうこと自体が耐え難かったんです。最初のお見合いも、両親に両脇を挟まれるように大阪のホテルに向かいましたが、ギリギリになって「あ、やっぱり嫌やな」と、お手洗いに行くふりをしてとんずらしました。小1時間で見つかって連れ戻されましたが(笑)。
失礼な話ですが、当時は親のためにお見合いはするものの断ることしか考えておらず、いかに断るかに苦心していました。
── 数回であればともかく、35回以上もお見合いを断って、ご両親からは何も言われませんでしたか?
英月さん:もちろん、断ってばかりだと親から「何様なの?」と怒られるので、向こうからお断りしてもらえるようにと考えました。おもむろにタバコを持ち込んで吸ってみるなど、冗談みたいなことをしたこともあります。でも逆に、「なんて素直なお嬢さんなんだ」って好感度が爆上がりしちゃって(笑)。
そんな調子でお見合いを重ねているうちに28歳に。そうしたら母に「何か私に恨みでもあるんですか?こんな歳になってもお嫁に行かないなんて、寺の恥です」と泣かれてしまったんです。