プロレス団体「プロレスリング・ノア」に所属し、大学生・教育者という別の顔も持つ異色レスラーとして注目を集める大原はじめさん(41)。中学時代にテレビで観た衝撃が忘れられず、次第にプロレスにのめり込みます。授業を放棄し、多摩川沿いでスクワットを続けるなど、あまりに破天荒な行動も、ご両親は叱責することなく、夢を見守り続けてくれたそうです。

プロレスのビデオを棚の端から端まで借りてきて

── 中学時代にテレビゲームを通して知ったプロレスを初めてテレビで観て衝撃を受け、勉強そっちのけで練習に励んだと伺いました。

 

大原さん:中学1年の冬頃、スーパーファミコンでプロレスゲームが学年全体で流行ったんですけど、僕はそこで初めてプロレスというものを知ったんです。部活が終わったら、友達の家にみんなで集まってプロレスのゲームに熱中していました。でも、そのときの僕はまだ「プロレスはゲームの世界だけのもの」って思っていたんです。

 

それが、テレビ番組で初めてプロレスの試合を観たときに「まさか人間が本当にやってるなんて!」とすごい衝撃を受けて。「人間がやったら死んじゃうだろ!」って。

 

でもそのうち「なんで人間がここまでできるんだろう」と興味が湧いて、録画したプロレス番組を何度も巻き戻して観たんです。近所のレンタルビデオ屋にも行って、プロレスのビデオを棚の端から端まで借りて観て、勉強していったんですよ。1か月のあいだ。


 
それでどんどん詳しくなって、プロレスラーは実はとんでもない努力を重ねて超人になっていることも知ったんです。だからこそ、リングでスポットライトを浴びて、たくさんの人を楽しませて感動を与えることができるんだって気づいて。プロレスラーに憧れるようになりました。「自分もこういう人になりたい。仲間になりたい」と。

 

大原はじめ
19歳でプロレスラーとしてデビューして以来、日本のみならず海外でも戦ってきた大原さん(右) (c)プロレスリング・ノア

── プロレスラーに憧れを抱いてからはどうされたんですか?

 

大原さん:忘れもしない、中学1年の3月です。僕が親に「プロレスラーになりたい」と話すと、「高田さんの道場に通いなさい」と提案してくれたんです。高田延彦さんといえば、元プロレスラーで、日本のプロレスや格闘技を盛り上げた立役者。その高田さんの道場がたまたま自宅から自転車で30分圏内にあって。すぐ通い始め、自分のプロレス人生が本格的に始まったんです。

 

道場に通うに当たって高田さんのことをいろいろ調べたところ、高田さんは中学生の頃にスクワットを1日1500回やっていたことを知って。僕もやってみたらたった50回しかできない。「これはヤバい。学校に行ってる場合じゃない」と、学校に行くのをやめました。