悲願のJ加入「応援したい」気持ちの裏で
── ご主人がJリーガーになることが決まったときは、どのようなお気持ちでしたか。
早川さん:小さい頃からさまざまなスポーツに触れてきましたし、私自身も陸上競技をしていたので、大学卒業後もプロとして続けられることがどれほどすごいことなのか理解していました。だから本当に素晴らしいことだと思っていましたし、尊敬していました。ただ、主人を応援したいと思いながらも、一方では遠い世界に行ってしまうような気がして、ほんの少しだけですが不安な気持ちもありましたね。
── 遠距離になることに多少なりとも不安は感じていたんですね。
早川さん:もちろん寂しいなという気持ちはありました。ただ彼も私もお互い、やりたいことをするために次の道に歩みを進めるという考えだったので、「お互いに頑張ろうね」というスタンスでした。
主人とずっと一緒にいられたらいいなという気持ちもありましたが、そのために自分がやりたいことを諦めるというのは私の選択肢にはなかったんです。その考えは主人も同じだったからこそ、「大学で勉強してきたこともあるし、やりたいことをやったらいいんじゃない?」と言ってくれて。私が大学院を修了して就職するときも、「まずは自分の思いを大切にして」と言葉をかけてくれ、私の気持ちを尊重してくれましたね。
疲れ切った表情も「まさか重い病気だなんて」

── 大学卒業後、早川さんは筑波、ご主人は新潟で新たなスタートを始めます。しかし、プロデビュー直後にご主人に病気が発覚しました。
早川さん:彼は卒業前の1、2月から所属するアルビレックス新潟のキャンプに参加していました。当時は夜にビデオ通話をすることが日課になっていたんですが、日に日に顔がこけていくというか…疲れ切ったような表情をしていて。「最近、全然疲れが取れないんだよね…」という言葉や声のトーンに不安を感じていたんですが、そのときはまだ、「それほどプロの練習はハードなんだろうな」という程度にしか考えていなかったんです。
「これがプロの世界だよ。大丈夫、じきに慣れてくるよ」、主人の言葉を信じるしかなく、重い病気だとはまったく想像していませんでした。
── その後、ご主人はJ1リーグ開幕戦で先発出場。夢を掴む姿を見られたいっぽうで、テレビ電話のご主人の表情がやつれていくのを見て、早川さんは次第に胸騒ぎが止まらなくなっていたそうですね。そして…ご主人の白血病が発覚します。
早川さん:4月末に彼が検査入院することになって、ゴールデンウイーク明けに電話がかかってきたんです。陸上の大会で訪れた日産スタジアムから新横浜駅まで歩いているときのことです。「俺、白血病だってさ」。その言葉を聞いて、私は周囲の人目を憚らず、涙が止まらなくなりました。
でも彼はその電話で「治療も、復帰できるようにリハビリも頑張るから」と前を向いていて。その言葉を聞いたとき、誰よりも一番つらい彼がそう言っているんだから、私がくよくよしていては駄目だと気持ちを切り替えることができたんです。
── 当時、早川さんは大学院を休学することも考えていたそうですね。
早川さん:ずっと付き添って主人をサポートしたくて、その思いを新潟に行って直接伝えました。でも彼は「まずは自分がやりたいこと、将来になるためのことをやりなよ」と。せっかく大学院に入学したのだから、自分自身のために時間を使ってほしいって。そんな状況でも彼は私の人生のことを一番に考えてくれていたんです。
このとき、彼と結婚したいと、心から思いました。「結婚すれば心置きなく付き添える」、でもその言葉は彼に余計ないストレスを与えてしまうと思って、喉元まで出かけた言葉を飲み込みました。