危険と隣り合わせの世界。恐怖を感じたことはなかったはずが

── また、現役時代は、50代終盤に子宮全摘と卵管切除の手術をされたそうですね。
日高さん:最初はがんの疑いがあったのですが、結果的にがんではなく子宮筋腫で、子宮を摘出することになりました。卵巣は残したほうが更年期障害も悪化しないそうなので、残しています。そのおかげなのか、更年期障害の症状はほとんどないまま今に至ります。
── 病気から復帰した翌年には60歳5か月で「あまがさきピンクルカップ」を優勝。ご自身が持っていた女子最年長優勝記録(58歳9か月)を塗り替えています。
日高さん:たしかに女子の最年長優勝記録として話題にはなったものの、自分としては自慢できるようなレース内容ではありませんでした。それに、女子の最年長記録は年々更新されていますから、そう遠くない将来、誰かに塗り替えられるでしょう。
ただ、還暦を越えてからも現役選手として走り続けられたことは、自分でも本当にありがたかったなと思います。
── 最年長記録が年々更新されるとはいえ、それだけの長い期間現役でいることは決して簡単なことではないはずです。62歳のときにはレース中に顔の神経を切断する大怪我をされていますよね。
日高さん:選手生活で最も大きな事故でした。私が乗ったボートが転覆し、高速回転するプロペラに接触してしまった。プロペラにあたったヘルメットはズタズタに削れ、顔の神経を切断され、首も2箇所縫いました。医師からは「あと少しズレていたら頸動脈が切られて即死だった」と言われてゾッとしました。
ボートレースは危険と常に隣り合わせです。でも危険の度合いが高いからこそ、大金を稼げる。過去には同期を事故で亡くしたこともありますが、それでも私自身、どこか他人事で、それまで恐怖を感じたことは一度もありませんでした。でも、このときの大怪我で初めて、ボートに乗ることが怖くなりました。
50代以降に体のあちこちが痛くなってきたことも、無関係ではないかもしれません。両膝を痛めて再生治療の手術を受けたり、視力が衰えてスタートのタイミングが掴みづらくなったりしたことも重なって、「そろそろ選手としてはおしまいだな」という実感がありました。また、仲よしのレーサーたちをはじめ、他のレーサーと競うこともツラくなってきたこともあって、63歳で引退しました。