アキレス腱断裂、車椅子生活。走ることがアイデンティティだったトップアスリートにとって、それは「自分の価値がゼロになる」に等しい絶望でした。そんな絹川愛さんを救ったのは、アニメや漫画のキャラクターになりきる「コスプレ」の世界。現役引退後、元アスリートであることを隠し、没頭した世界で見つけた「新しい自分の愛し方」とは。
ケガでどん底の時期にコスプレに挑戦
── 10代で日本代表に選出され、陸上の長距離走で頭角を現した絹川愛さん。競技を離れた今はコスプレイヤーとして活動されていますが、そもそもコスプレに本格的にのめり込んだのは、ケガで走れなかった現役時代の「どん底期」だったそうですね。
絹川さん:23歳の頃、アキレス腱を断裂して手術をしました。でも1、2年リハビリを続けても感覚が戻らず、元のように走れない時期が続いていたんです。ひどいときは車椅子や松葉杖が必要で、近くのコンビニに行くのもひと苦労。
こんな状態でいつ復帰できるかもわからない。不安で頭が埋め尽くされ、このままではおかしくなってしまうかも…と感じていました。陸上から少しでも頭を切り離したかった。それが大きかったと思います。
── 精神的にも極限の状況だったのですね。でも、なぜ「コスプレ」だったんですか?
絹川さん:閉塞感が強かったときで「違う自分になってみたい」気持ちがありました。実は現役時代も、大きな試合のあとのオフの時期に、趣味でこっそりコスプレを楽しんでいたんです。リハビリ期間は時間に余裕ができたこともあり、本格的に取り組むことに踏み出しました。
もともと手先が器用で子どものころからモノづくりが好きでした。小中学生のとき、本当になりたかったのは、陸上選手よりもダンサーや役者のような表現者だったんです。そうした幼い頃の憧れが、役になりきって表現する「コスプレ」に自然とつながったのだと思います。ある意味、陸上にすべてを捧げていてできなかったことを、ひとつずつ回収していく感覚があります。

── 初めて鏡でコスプレをしたご自身の姿を見たとき、どんな感覚でしたか。
絹川さん:ひと言で言うと「衝撃」でしたね。「こんな自分もいるんだ」と。衣装を型紙から起こしてミシンで縫ったり、ウィッグをカットしたりと、空いた時間に少しずつ作業をして、完成まで1年ほどかかりました。メイクもほぼ未経験だったので、動画や本を頼りに何度も練習して。
最初に挑戦したのは、『弱虫ペダル』の真波山岳です。思うように体が動かず、不安で気持ちが沈んでいた時期だったからこそ、まぶしく輝くキャラクターの姿を借りることで、自分も少しだけ強くなれた気がして本当に嬉しかった。強いキャラになりきると自然と口角が上がって背筋も伸び、陸上では怖さが勝って味わえなかった、ただ純粋に「楽しい」という感覚を、コスプレが与えてくれました。