映画の舞台挨拶がきっかけで、芸能界に飛び込んだ

オラキオ
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── そもそもお笑い芸人になろうと思ったきっかけは何だったのですか?

 

オラキオさん:これも不思議な縁なんですけど、本当は板前になりたくて修業のために佐賀から東京に出てきたんですよ。地元の友達が大好きだったから、「佐賀に飲食店を出してみんなが集まれる場所にしよう」と、小学校卒業時には決めていました。高校を出てから板前修業を始めて、上京したのが20歳の頃。田舎では見られなかった映画や演劇、お笑いライブが東京だといっぱいあるので、休みの日はエンタメを見るのが趣味でした。

 

僕、SABU監督が撮る映画が好きで。ある日、SABU監督や俳優さんが登壇する舞台挨拶があるというので早起きして順番待ちに並んでいたんです。そしたら、僕の前の人で満席に。それがものすごく悲しくて、悔しくて。「並ぶ側じゃなくて舞台に出る側になる!」と決心したんです。

 

上京してから、周囲のレベルの高さに圧倒され、板前としてやっていく自信をなくしていたのもあったと思います。親方の許しを得て次の見習いが来るまで2年ほど修行を続けたのち、23歳で芸能界に飛び込みました。

 

── 映画の舞台挨拶がきっかけということで、最初は芸人ではなくて俳優を目指していたのでしょうか?

 

オラキオさん:そこがミーハーなところなんですけど、舞台に立ったりテレビに出たりする「芸能人」になれたら何でもよかったんですよね。「俳優って顔じゃないし、じゃあ芸人か」という発想でお笑いライブのオーディションを受け始め、2003年にバイト仲間だった元自衛官のテキサスを誘って弾丸ジャッキーを結成しました。26歳のときです。

 

なかなかお笑いだけでは食べられなくて、アルバイトは10年以上続けていましたね。37、38歳くらいまではいろんなバイトをしながらお笑いの仕事をしていました。

 

── コンビ結成から10年後に、芸能界入りのきっかけとなったSABU監督に手紙を書かれたそうですね。

 

オラキオさん:そうなんです。10年間弾丸ジャッキーとしてお笑いをがんばって、世間に名前を少し知ってもらえるようになり、あのときの想いを監督に伝えたいと思って手紙を書きました。そもそも、弾丸ジャッキーというコンビ名も僕がSABU監督の『弾丸ランナー』という映画が好きだったことと、相方がジャッキー・チェンを好きだったことから名づけているので。

 

そしたらSABU監督から返事が来て、弾丸ジャッキーのことを知ってくださっていたうえに「いつかキャスティングしたいから、もっと知名度上げておいてくださいね」と書かれていたんです。もう飛び上がるほど嬉しくて、そのハガキは今でも大切に取ってあります。2年後、実際にSABU監督の作品『天の茶助』(2015年)に呼んでいただき、一緒に舞台挨拶に立つことができたんです!

 

── すごい!夢が叶っていますね。

 

オラキオさん:10年間はお笑いだけに集中しようとがむしゃらにやってきて、もともと好きだった演劇にも関わりたいと思っていた頃だったんです。その後、役者の仕事も少しずついただけるようになりました。