ママ友はゼロ「誰も近寄ってこなかった」

── 息子さんの戸籍の父親欄は、今も空欄のままにしているそうですね。
横井さん:はい。養育費をもらうには認知が必要ですが、逃げた父親の名前を息子の戸籍に残したくない。また、父親の認知があると、父親が何かで助けを求めてきた際、子どもが父親を助ける義務が出てくる可能性もあると聞き、養育費をもらう以上にリスクのほうが大きいと思ったんです。
彼は口では「20歳になったら一緒に育てよう」と言っていました。でも実際には、責任を取らずに逃げた人です。その背中を息子に見せても、悪影響しかないと思いました。彼との関係を続けるより、自分で育てていく道を選びました。
── 養育費もなく、収入の手立てもないまま15歳で子育てが始まりました。当時の生活は、どのようなものだったのでしょう。
横井さん:最初は母に助けてもらいながら子育てをしていたのですが、いつまでも頼りきりでいるわけにはいかないと思って、息子が1歳になる前くらいにバイトを始めました。息子が4歳の頃からは家を出て、ふたり暮らしです。
当時は児童手当と母子手当で5万円、給料が8万円ほどで、毎月の収入は13万円ほど。そこから家賃や生活費を払うので、暮らしはカツカツです。余裕はまったくありませんでした。自分の髪も服もボロボロの状態で、お金のことばかり常に考えていましたね。
2年前からヘッドスパのサロンを自営しています。手当も合わせて月20万円ほどで、そこから家賃6万円を払って生活しています。以前よりは少し安定しましたが、息子に我慢させている部分もありますし、将来の学費を考えると不安はあります。
── 若い母親であることで、周囲の目が厳しいと感じる場面もありましたか。
横井さん:ありましたね。最初の3年くらいは特に苦しかったです。若い母親というだけで好奇の目で見られることもありましたし、バイト先でも強く当たられがちでした。保育園でも「ほかのママたちにはこんな言い方をしないんじゃないかな」と感じることがしばしばありました。
ママ友もゼロでした。誰も近寄ってこないように感じていましたし、助けてもらえないのが普通なのかなと思うようになっていて。若くして産んだのは自分だから、こういう扱いをされても仕方ないのかなと、自分に言い聞かせていたところがあります。