「お母さんに嫌われたくない」。わが子が芸能界で活躍することを切望する母親のために、幼少期から走り続けたUK(楠 雄二朗)さん。母が亡き後、関西で「くっすん」の愛称で親しまれ、テレビやラジオ、連載など11本のレギュラーを務めるほど活躍した時期も、気持ちが完全に満たされることはなかったそう。それは、母の大きすぎた愛情と期待にこたえられなかった罪悪感ゆえでした。母親の呪縛から逃れられない日々のなか、「自分自身の子育てにも影響が大きかった」と振り返ります。

条件つきでも母の愛情が欲しかった

── 現在はラジオDJを中心にタレントとして幅広く活動するUKさん。熱心なステージママだったお母さんの要望で、幼少期から芸能の世界に身をおいてきたそうですね。「芸能界で活躍してほしい」というお母さんの願いに応えようと、幼少期から必死でお母さんの希望を叶え続けてきたとか。

 

UKさん:僕はずっと母のために、「母親軸」で生きてきました。意外とそういう子は多いと思うんですけど、僕の場合も「芸能界の仕事で活躍する」という条件を満たすことで母親から愛を恵んでもらうという感覚が強かったんです。

 

UK
赤ちゃんのころのUKさん(右)。すでに端正な顔立ち

今でこそ現実になっていますが、子どもの僕がいきなり、母が望む「有名なテレビ番組に出演する」なんて目標は、ハードルが高すぎました。だけど、当時の僕のなかでは、母の判断基準がすべてでした。母は元々モデルとして活動しながら女優を目指していましたが、自分が思うように芸能界で活躍できないまま結婚・引退することになって。その無念から「自分を認めなかった人たちを見返したい」としょっちゅう言っていたんです。そんな母がかわいそうでもあったし、何より「嫌われたくない」という思いや母の願いを叶えられない罪悪感がありました。

 

母親から求められるままに無理をしてなんでも受け入れ、それが自分に向いていないとか、無茶をしているという感覚もないまま頑張りすぎてしまう。そういう状況は、僕が25歳のときに母が病気で他界してからも続きました。母親軸だった自分の言動は、いつしか他人軸になり、「まわりに嫌われたくない」と、究極に気を遣いすぎる毎日を送っていたと思います。