大切な娘の医療費を稼ぐため、そして愛する家族を養うため。23歳でフィリピンから単身来日したルビー・モレノさん。映画『月はどっちに出ている』で外国人初の主演女優賞を受賞し、瞬く間にスターへの道を駆け上がりました。しかしその光の裏で、彼女は「母親」としての引き裂かれるような孤独に震えていました。
「娘のために」迷いなき来日と、過酷な下積み

── 23歳のときに来日されていますが、フィリピンではどのような環境で育ったのですか?
ルビーさん:軍人の父と教師の母のもとに生まれました。5人きょうだいの2番目で、下には3人の弟と妹がいます。家族は全員とても仲良し。すごく貧しいわけではないけど、3食を食べるのがやっとという生活でした。
私にはリズという娘がいました。リズは脳性まひを患っていて、医療費を稼ぐ必要があった。それに妹たちの大学費用も必要で。私が日本で稼いで、仕送りをすると決めました。
──おひとりで日本に来られたのですね。
ルビーさん:そうです。当時のフィリピンでは「もっと稼ぎたい」「人生を変えたい」と思ったら、日本に稼ぎに行くのが普通だったんです。だから私も、大切な娘のために、大好きな家族のために。そこに迷いはなかったですね。
日本ではダンサーをしたり、飲食店で働いたり。稼いだお金のほとんどを仕送りしていました。そんななかで、突然スカウトされて事務所に入り、エキストラの仕事をするようになったんです。
── 最初は俳優ではなく、エキストラだったんですね。
ルビーさん:たくさん働いても手元に残るお金はほんの少し。必死でしたね。ある日、映画『月はどっちに出ている』のオーディションを勧められて応募しました。監督のイメージとはまったく違っていたようですが、最終的には「ヒロインに確定した」と連絡をいただきました。他の方が躊躇するような露出が多いシーンも「やります!」と即答したことが、決め手の一つになったのかもしれません。
── ルビーさんは躊躇しなかったのですか?
ルビーさん:とにかく必死でしたから。それに台本を読ませていただいて、そのシーンも作品の大切な一部だと自分の中ですごく納得できていたんです。だから、迷いはありませんでした。その後、『月はどっちに出ている』で国内の賞をたくさんいただき、俳優としての活動が軌道に乗りました。