「もう辞めたい」と初めて打ち明けた本音に…
── そういった状態が「何かおかしい」と最初に気づいたタイミングはあったのでしょうか。
UKさん:大学4年生のころ、就活をしようとしていたときです。「これ以上、芸能活動を続けていても不毛だから、もう辞めたい」と、母に打ち明けたことがあったんです。そのとき母から返ってきたひと言は忘れられません。「あなたの人生だからいいよ。でも、ママはもう生きていけない」と。まるで脅迫するかのように言われました。
そのときに初めて「いままでもこれからも、僕が生きるのは僕自身の人生じゃないんだ」ということに気づいて。「この母に自分の人生すべてを捧げないといけないんだ」と絶望的な気持ちになりました。
── お母さんの衝撃的な発言に対して、UKさんは反発されたのですか?
UKさん:今まで反抗したことがなかったので、そんな発想はなかったです。反発心というより、自己犠牲のほうへ傾きました。母のひと言で、それまで信じていたことや生きる目的を失った感覚になり、とにかく生きているのがしんどかった。体調を崩したときには、これで死ねばラクになれるのかなと考えたりもしました。
「母のため」ではない目的を見つけ解放された
── 若くしてそんなに生きる気力をなくすような日々が続いたとは…。しかもその数年後、UKさんが25歳のときに、お母さんはご病気で他界されます。亡くなる前には、業界関係者の方々に「息子をお願いします」と連絡をされるなど、UKさんのことを気にかけていたとか。しかし、UKさんはその後も苦しい思いからはなかなか解放されなかったそうですね。
UKさん:母の深い親心は、今なら感じられます。でも、母が亡くなった後もずっと苦しさはなくなりませんでした。母の僕に対する愛が大きすぎて、常に何をやっても「母に満足してもらえる自分ではない」と、自己嫌悪がつきまとう状態が続いたのです。
仕事は順調に増えて忙しくなりましたが、気持ちは苦しいままでした。メディア露出も増えた自分を「母に見せたかった」という後悔が大きかったし、本当の自分とは違うキャラクターを演じていた面もあり、複雑な心境でした。「仕事に行きたくない」と動悸とめまいで倒れたこともありました。
── そんな苦しい時期を経て、約5年前に会社を設立されます。「好きな事業を自分の手で作ろう」と思えたとき、お母さんからの「親卒」という言葉が浮かんだそうですね。

UKさん:仕事の実績が増え、ようやく「母が生きていたら、やっと周囲の人に自慢できるレベルに到達できたかな。褒めることはなくても、満足はしてくれただろう」と思っても、僕の中から母の呪縛は消えてくれませんでした。どうにか悶々とした状況から脱したいと模索し続けたなかで、「自分の経験を活かした使命を見つけ、発信したい」という目標を見つけました。そのとき、人生で初めて「母のために」ではない目的を見つけたのです。その瞬間、生きたいという大きな意欲が湧き、ようやく母から卒業できるかもしれないと感じました。
でも、精神的な揺り戻しは何度もありました。2023年には自分の経験を綴った著書を出版しましたが、本当に「親卒」できたと思えたのは、実はつい最近なんです。