「パパは生きていて、東京にいる」ということに

── 父親が突然亡くなったことは、お子さんたちにとっても大きなショックだったと思います。
岸田さん:まともに向き合うには、あまりにも突然で、悲しい出来事でした。だから、夫が亡くなってから1年以上、私たち家族は「パパは生きていて、東京に住んでいる」ということにして、それまで通りに暮らしていたんです。
夫は、単身赴任をする前から仕事でほとんど家にいませんでしたし、私はずっと専業主婦で、家のことはちょっとした大工仕事でも何でもひとりでできました。だから、夫が東京にいることにしておけば、生活は何も変わりませんでした。
夫が亡くなったとき、彼の高校時代の野球部の先輩からお手紙をいただいたんです。私は直接お目にかかったことはないのですが、夫はその方を尊敬していて、何かあると相談をしていました。
その方も小学生のときにお父さまを亡くされていて、お手紙には「父を亡くした悲しみよりも、父を思って泣いている母を見るのが悲しくてつらかった。ひろ実さん、お願いだからお子さんたちの前だけでは、泣かないで元気を装ってあげてください」ということが書かれていました。
手紙を読んで、「ここで私が泣いていたらいけない、子どもたちの前では、私は太陽みたいに元気でいよう」と思いました。でも、夫を失った悲しみに向き合ってしまったら、それは無理でした。だから夫には東京にいてもらうことにしたんです。
── 亡くなられたあとも、ご家族と一緒にいらしたのですね。
岸田さん:奈美は、最後にパパにひどい言葉を投げつけてしまったことを後悔していると思います。私も、夫に「ありがとう」をちゃんと伝えられていたかな、と思うことはたくさんあります。
夫が亡くなってから、奈美と私は言いたいことは先延ばしにしないで、その場ですぐ伝え合うようにしてきました。私たちは、いろいろなことを一緒に乗り越えてきた戦友のような関係です。私たちの関係が悪くなったら、岸田家はおしまいだということはお互いにわかっているので、何か気になることがあったら、とことん話し合うようにしています。娘の夫には「家族で話をしすぎるね」と言われるくらい。そして、「ありがとう」と「ごめんね」は、必ずその日のうちに伝えるようにしています。
…
夫の死を乗り越え、前向きに生きようとした矢先、岸田ひろ実さんは病気で下半身麻痺になってしまいます。今は、車いすでもできるカウンセラーや講演の仕事をしながら、多くの人に勇気を与えています。
取材・文:林優子 写真:岸田ひろ実