痛みは突然…母が自分を責めた「原因不明の疾患」

吉野奈美佳
小学生のころ、失明する前の吉野さん

── 先ほど小学2年生までは少し見えていたと言っていましたが、疾患がわかったのはいつだったのでしょうか?

 

吉野さん:3歳児検診でした。視力検査で左目のときだけ全然違う動物の名前を答えたそうなんです。私は見えていなかったので、当てずっぽうで答えていただけ。それで医師が異変に気づきました。

 

── それまでご両親は気づいていなかったのでしょうか?

 

吉野さん:そのようです。第一次硝子体過形成遺残は原因不明の疾患なのですが、なかには妊婦のストレスが原因という意見もあるそうで、それを知った母は当時、自分のことを激しく責めたといいます。同時に、「この子のことは一生をかけて絶対に守ろう」と心に誓ったそうです。母のその強い覚悟が、私の命綱になりました。

 

病院では、合併症のせいで網膜剥離や緑内障がいつか起こるかもしれないと言われ続けてきました。それは今見えている右目にも起こりうることです。常に「いつか光を失うかもしれない」という爆弾を抱えて生きている感覚は、幼いころから消えませんでした。

 

── 突然、完全に見えなくなったのは小学校2年生のときだそうですね。

 

吉野さん:学校にいるときに急に左目が刺すように痛くなって…。網膜剥離を発症していました。処置をしましたが結局1週間後に網膜が剥がれ、左目は完全に見えなくなりました。不安よりも、ずっと左目が痛かったことを覚えています。