「絶望しかなく」初めてマジックから離れて
── 厳しい言葉ですね。どう受け止めたのでしょう。
Mr.マリックさん:そのひと言で自分の甘さに気づきました。「好きだから続けたい」と「トップを目指す」は違う。単に車の運転が好きで、それで食べていきたいなら運転手などの道もある。でも、F1レーサーを目指すなら最初から進む道のりも、求められるものも違う。君にはその覚悟があるのかと、教えてくれていたんですね。
では、どうやって一流のマジシャンを目指すか。そのためには、世界大会で評価されるしかないと思い、寝る間も惜しんで練習に励みました。そのかいあって、ハワイで開催された世界大会で日本人初の賞をいただき、「帰国したらプロになれる」と、最初は浮かれていたんです。
ところが、現地で見た世界トップレベルのマジシャンのショーに圧倒されました。衣装も演出も素晴らしく、まさに総合芸術。本物のショーを作るにはとんでもなくお金がかかると気づき、絶望しました。帰国してから周囲に「もうやめます」と宣言し、人生で初めてマジックから離れたんです。
── 血のにじむ努力を重ね、世界大会で賞までとった直後の挫折。そこからどう立ち直ったのでしょう。
Mr.マリックさん:1年ほど離れても悔しさが消えず、寝ていても勝手に涙が出てくるんです。続けたいけれど資金がない。揺れる気持ちのなか、大丸・八重洲で「シーモンキー」(アルテミアというプランクトンの育成キット)の実演販売を始めました。これが売れに売れて、続けて「手品セット」の実演販売も手がけるようになると、生活は一気に安定しました。同じ売り場の女性と結婚し、家族が増えて「この生活も悪くない」と、なかば満足していました。ところが、ある日を境に客がパタッと途切れてしまったんです。
── いったい何が起きたのですか。
Mr.マリックさん:1974年、ユリ・ゲラーさんが日本のテレビ番組でスプーン曲げを披露し、社会現象になりました。翌日からスプーンを持ったお客さんが私のブースに押し寄せ「曲げてみて」と言ってくるんです。手品の実演をして売っていましたから、客にすれば「手品ができる奴なら曲げられるだろう」というわけです。
「ちょっとムリですね」と、断ると「手品はインチキだ」と。世の中の関心が超能力へ移り、手品が否定される空気になってしまった。このままでは超能力に「不思議世界のチャンピオンベルト」を奪われると危機感を覚え、それなら研究するしかないと決意。まずは直接、秘けつを学びたくて、ユリ・ゲラーさんのニューヨーク公演に行ったんです。