後に命の尊さを痛感した日航機墜落事故
── ご家族の話に関連して、忘れられないできごとがもうひとつあります。1985年の日航機墜落事故のことです。もともとは、ご家族でその便に乗る可能性があったそうですね。
逸見さん:事故があった1985年当時、私は13歳でした。中学1年生になったばかりで、自分たちがその便に乗る予定だったという事実を、そこまで深刻には受け止めていませんでした。あとから家族の間でその話題が出て、「あのとき、祖母が止めてくれなければ、自分はここにいなかったんだな」と、運命のわかれ道を改めて痛感した感じでした。
──「祖母が止めた」というのは…?
逸見さん:毎年、夏休みは大阪にある父の実家へ帰るのが恒例でした。その年は飛行機で帰省する予定で、予約しようとしていた便がまさにあの便だったと聞いています。でも、母方の祖母から「家族みんなで一度に飛行機に乗るのは、やめなさい」と、強く言われていたそうなんです。
祖母は昔から勘が鋭いというか、不思議と危険を遠ざけるような人でした。東京・世田谷の奥沢で営んでいたよろず屋(今でいう雑貨屋)に、車が3度突っ込んだことがあったそうです。しかし、なぜか、その3回とも祖母は店を外していて奇跡的に無事だったという話を聞かされたことがあります。ですから、母も祖母からの言葉を聞いて、急きょ新幹線に変更したようです。
── 大惨事となった事故のニュースを知った際、お父さんはどのような反応をされていましたか。
逸見さん:父は大阪に着いてから航空機事故のことを知ったのですが、家族が助かった安堵よりも先に、アナウンサーとしての職業柄、プロ意識が先立ち、「現地に行かなくては」と、とにかくソワソワしていました。父はどこまでも現場主義の人でしたから。その姿は今でも強烈に残っています。
