3歳のときに熊本・慈恵病院にある「こうのとりのゆりかご」(通称赤ちゃんポスト)に預けられた宮津航一さん。小学2年生のときに自身の生い立ちが判明するも、周囲には公表せずに里親の家庭で暮らしていました。しかし高校卒業時に、ある決断をします──。
実名公表するのが預けられた自分の役割だと

── 家庭の事情で育てられない子どもを匿名でも保護するために設置された、熊本県・慈恵病院にある「こうのとりのゆりかご」。現在、大学4年生になる宮津航一さんは、3歳のときに「ゆりかご」に預けられ、児童相談所で一時的に保護された後、里子として宮津家に引き取られました。
高校2年生のときに宮津夫妻と養子縁組をしますが、このタイミングで養子縁組をした理由はあったのでしょうか?
宮津さん:もともと高校を卒業するタイミングで養子縁組をしようという話が出ていましたが、私が高校2年生のときに父が脳梗塞を発症したんです。いつ何が起きるかわからないと思って、高校卒業を待たずに時期を早めました。
── 生活環境は変わらなかったと思いますが、里親として3歳から育ててくれた宮津夫妻の養子になったことで、心境の変化はありましたか?
宮津さん:里子の場合、何かの折に戸籍を見ると「同居人」と書かれているんです。気持ちのうえでは親子だと思っていても、少しもどかしいと感じることがあって。それが「養子」になったので、やっぱり安心しましたね。
── 宮津さんは小学校2年生で自身の生い立ちや既に亡くなられていた実母の存在が判明しますが、学校の先生以外には公表していませんでした。しかし、高校を卒業したタイミングでご自身の生い立ちを世間に公表することを決断します。それはどんな理由から?
宮津さん:初めて「こうのとりのゆりかご」に預けられた子どもの役割だと思ったからです。実は小学校のころから匿名で取材を数回受けていて、成人したら実名で公表するつもりだったんです。ただ、高校3年生のときに1年間テレビ局の密着取材を受ける機会があって。その取材の過程で自分を見つめ直す機会が多かったのと、この年から成人が18歳になったので、このタイミングでの公表を決めました。
── 公表して周りの反応はいかがでしたか?
宮津さん:想像以上にたくさんの方から温かいメッセージをいただきました。いちばん気になっていたのは、周りの友達がどう思うかということでしたが、「どんな生い立ちでも宮津は宮津だ」「今までとつき合いは変わらないよ」と寄り添ってくれるような言葉が多くて、本当にうれしかったです。
いっぽうで、「ゆりかご」について知らない人がこんなにいるんだ…と思ったのも正直な感想です。誰もが情報を取りやすくなった時代でも、自分にとって関心がないとなかなか話が入ってこないことを実感したし、熊本県内に住んでいても知らない人や、同級生では名前は聞いたことあったけど…といった声が多かったです。