2007年5月、熊本県の慈恵病院に「こうのとりのゆりかご」(通称・赤ちゃんポスト)が開設されました。開設初日に病棟にある1階の扉の中で発見されたのが、現在大学4年生になる宮津航一さんでした──。 

身元がわかるものは何ひとつなかった

宮津航一
宮津さん5歳のとき、里親の両親と撮影

── 熊本県・慈恵病院にある「こうのとりゆりかご」は、親が育てられない子どもを匿名でも託すための施設です。宮津さんは「ゆりかご」が開設された初日に、初めて預けられた子どもでした。誰に預けられたのかわからない。青いアンパンマンの上着を着ていたほか、当時の持ち物は靴と数点の衣類のみ。名前や生年月日など、身元がわかるものが何ひとつない状態だったといいます。

 

そのため、当時の熊本市長が宮津さんの名前を「航一」と命名。ゆりかごの小さな窓から広い海原にこぎ出していくように、可能性が広がるようにと願いが込められたと聞いています。

 

宮津さん:はい。当初「ゆりかご」は赤ちゃんが来ることを想定していたようですが、ベッドに座って少し笑顔も出ていた私を見て、驚いたと聞いています。

 

── その後、「ゆりかご」から児童相談所に保護されたのち、里親として宮津家に迎えられました。当時、宮津さんは3歳だったそうですが、初めて宮津家に行ったときのことは覚えていますか? 

 

宮津さん:当時の記憶は曖昧ですが、初めて宮津家に行ったときは夕方か夜で、外が薄暗かったんです。でも「新しい家に来たんだな」と、幼いながらに思った記憶があります。

 

── 里親になった宮津夫妻には5人の子どもがいますが、当時4人の子どもは既に自立して家を出ていたそうですね。高校生の5番目の子と祖父母、両親、宮津さんでの生活が始まりましたが、新しい環境にどのように馴染んでいったか、覚えていますか?

 

宮津さん:里子として迎え入れられてしばらくは、私が不安にならないように、家族が1人ずつ、1日3回は抱っこをしてくれました。夜になれば両親と川の字で寝ていました。当時、両親はお好み焼き屋さんを営んでいたのですが、そのお店に連れて行ってくれたり、地域の子どもたちと遊ばせてくれたり、常に気にかけてもらっていたと思います。

 

また、私が宮津家に里子に入った後、児童相談所から委託された子どもが他にもやってきて、合計9人で暮らすことになったんです。家族の親睦を深めるためにみんなでキャンプや旅行に行ったり。子どもたちが多いからか、家の中はいつもにぎやかでした。そうした日々の積み重ねで、「自分は家族として認められてるんだ」と、徐々に感じるようになったんだと思います。

 

── 宮津さんは、ご自身の生い立ちについて、早い段階で聞かされていたそうですね。

 

宮津さん:児童相談所にいるころから、両親がいないことはうすうす気づいていたし、宮津家の両親とも血がつながっていないことは、なんとなくわかっていました。

 

4歳のとき、たまたまテレビを観ていたら「ゆりかご」のニュースを放送していたんです。そのとき、画面に映った「ゆりかご」の扉を見て、「僕、ここ見たことがある」と言ったらしいんです。その言葉を受けて宮津家の両親は「ひとつでも記憶が残っているなら、嘘偽りなく事実を伝えよう」と思ったようで、その後は私が自分の生い立ちについて聞けば答えてくれました。

 

当時はとくにショックを受けることはなかったし、私以外にも里子がいたので特別なことだとは思いませんでした。人と違う環境にいると思ったのは小学校入ってからです。