2度のがん、愛する人との死別…それでも
── 24歳と27歳のときに子宮がんを経験されたとうかがいました。まさに事業を軌道にのせようとされていた時期とも重なりますが、宣告されたときはどんなお気持ちでしたか?
坪内さん:実は20歳のころから前がん状態があって、3か月に1度は通院していました。なので、突然の宣告を受けて「終わった…」と感じたわけではなかったんです。24歳のとき「変異があります」と言われたものの切除する段階ではなく、その後、27歳のときに子宮部分切除の手術を受けました。
── 当時は事業も拡大中で、認知度も上がり、全国を回る講演会の仕事も増えていた最中だったそうですね。
坪内さん:退院後1か月ほどは家で静養していましたが、具体的に何があったかは当時の船団長にしか話していませんでした。ほかの漁師たちは訳もわからず大変だったと思いますが、療養中も私の枕元に仕事の相談をしに来てくれて、横になりながらその都度対応することで乗りきりました。
── 再婚を約束していたパートナーとの死別もあったとうかがいました。
坪内さん:そうですね。家族になることを考えていました。息子とも仲がよかったです。でも、彼にがんが見つかり、その後、亡くなるまでは本当にあっという間でした。ただ、個人と経営者は別だと思っていたので、その悲しみを誰かに話すことはありませんでした。このことは自分の著書で初めて明かしたので、それで知った人がほとんどでした。
── 大きな出来事だったと思いますが、どのようにご自身の中で整理されたのでしょうか。
坪内さん:「処理しよう」と思っていたわけではありません。でも、彼とはたくさん話ができていたから、何かが起きる前に「このように着地させておこう」という心の準備はできていたような気がします。彼はよく、「山より大きな猪は出ない。いろんなことがあるのは、それだけ自分の山が大きいということなんだ」と言ってくれていて、その言葉が今も支えになっています。
1歳半の子どもを抱え、家には帰れず、実家にも頼れない、そんな何も持たなかった私が今こうなっているのだから、歩みさえ止めなければ誰だってなんだってできるってことを自分の人生をかけて証明している、そんな感じです。
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幼い子を持つシングルマザーとして、漁業の常識を覆す仕組みづくりに奮闘してきた坪内さん。いま現在は2人の息子を持つシングルマザー経営者として、子連れ出張やオンライン勤務など、会社運営にも柔軟な働き方を取り入れています。そして、「仕事も母親業も30点合格でいい」と語るその言葉には、背伸びをしない、しなやかな強さがにじんでいます。
取材・文:石野志帆 写真:株式会社GHIBLI