今でこそ生産者が農作物などを直販することは珍しくなくなりました。しかし、今から約15年前、漁業においてはそうした前例はほとんどありませんでした。そんな漁業の世界で常識を覆し、誰もやったことがない「6次産業化」の道を切り開いたのは、知識も経験もない、あるひとりのシングルマザーでした。
知識ゼロのシンママに「儲かる仕組み考えて」と

── 2022年に放送されたドラマ『ファーストペンギン』のモデルとしても知られる起業家の坪内知佳さん。山口県萩市で漁師たちと奮闘しながら、漁業の「6次産業化」を行い、起業家として数々の賞も受賞されています。まずこの「6次産業」という言葉は耳慣れない人がいると思うのですが、いったいどういったもので、何が革新的だったのでしょうか。
坪内さん: 6次産業とは、農林漁業者(いわゆる1次産業)が農・水産物などのもともと持っている価値をさらに高めるため、生産だけでなくみずから生産物の食品加工(2次産業)から流通・販売(3次産業)までを手掛けることを指します。
戦後、日本では漁師が獲った魚は基本的に漁協が管理運営する市場に水揚げされ、漁協や仲買人により加工、販売されてきました。漁師としては販売などの手間や売れ残りのリスクから解放される反面、儲けに対してコミットすることができないというデメリットがあります。この仕組みが機能していた時期もあったと思いますが、漁獲高が次第に減少し、消費者の魚離れが進んでいた当時の漁師にとって、儲けにコミットできないことは死活問題だったんです。
私たちは、そうした慣行のなかで埋もれていた「生産者による直接販売」の可能性を形にしようとしたんです。まず、アジやサバといったメインの商品以外で網にかかった魚に目をつけました。そうした魚は、漁師が命がけで獲ってきた一級鮮魚であってもタダ同然で取引されているという現状がありました。それらに高付加価値をつけて、「旬の魚」を欲しがるミシュランの星がついた寿司屋などに直販することで、漁師の窮状を改善しようと試みたんです。
始めた2011年当初は生産者による直販はほとんど前例がなかったのですが、当時農水省が推し進めていた「6次産業化」と「地産地消法」に基づいてこれまでの慣行に切り込んでいきました。
── 事業計画を始めた当時、坪内さんは23歳。宴会の仲居業を手伝っていながらシングルマザーとして必死に働いていましたが、水産業には縁もゆかりもなかったそうですね。それが、後に一緒に事業に取り組む漁師の長岡さんに出会い、運命が変わっていきます。
坪内さん:当時はほかに仕事を探していて、偶然出会った長岡に「パソコンを使った仕事ができます」と名刺を渡したんです。すると、しばらくして「漁業だけじゃもう食っていけない。なんか儲かる仕組みを考えてくれ」と連絡がありました。魚の消費は減り、価格も下がるいっぽうで、燃料費や資材費は上がるばかり。将来への危機感が強くなっていたようでした。
── 漁業の行く末に不安があったとはいえ、依頼はざっくりとしたものだったんですね。
坪内さん:そうですね。しかも、仕事の依頼があったのはいいものの、当時の私は漁業どころか魚についての知識は皆無。魚料理も正直好きではありませんでした。
そこから漁港でのリサーチなどを自分なりにやって、事業計画書を作成を始めたんです。流通の仕組みや法制度を一つひとつ確認し、販路開拓のために大阪・北新地の高級料亭などの飲食店に営業をかけました。2012年には、試験的に魚の直販をスタートできるまでになりました。
でも実際に誰もやったことがなかった生産者からの直販事業を進めていくと、たくさんの壁があり、長岡からは「もっとラクに稼げるほうがいい」とか「こんなめんどうくさいこと頼んでない」とか言われましたね。
── 6次産業化によって、魚を獲るだけでなく梱包や発送など新たな仕事が増えたことが、そうした不満の原因に繋がっていたのでしょうか?
坪内さん:一般的な漁師は漁から帰ってきて水揚げを済ませれば、その後はすべて漁協と仲買人がやってくれます。でも6次産業化をして確実に売り上げを立てるためには、水揚げ後に自分たちで魚を処理して箱に詰め、宛名を書いて発送まですることになります。豊漁が続くと、お風呂もろくに入らずに次の日も船に出て、仮眠して1週間ぶっ通しで働くこともあるんです。
私も私で、子どもを夜間保育などに預けてなんとか浜へ出て、長岡たち漁師からその日の漁獲を電話で聞いたうえで飲食店などからのオーダーを取り、みんなと梱包してトラックに載せ…という毎日だったので、肉体的にハードだったことは理解できます。