引退試合はカッコよく決めたかったのに
── 2025年3月に引退を表明し、9月には引退試合を開催されました。試合には、元なでしこジャパンのメンバーや関係者のみなさんが駆けつけて、とても和やかな時間になったそうですね。印象に残っているシーンはありますか?
永里さん:いちばん思い出すのは、試合終了後の自分のスピーチで大失敗したことですね(笑)。私、引退のスピーチは絶対カッコよく決めたかったから、いろんな人のスピーチを聞いて、張りきって準備していたんですよ。
ところが、当日は喉の不調で声が全然出ないうえに、スピーカーの使い方をまったくわかっていなくて。スピーカーとマイクを使う場合、一気に話してから少し間を置くと、スピーカーの声の跳ね返りで観客のみなさんに聞こえやすくなるらしいんです。それが、私はスピーカーから流れる自分の声を聞きながら話してしまい、スピーカーの音と自分の話している音が混ざって、言葉がめちゃくちゃ聞き取りづらかったみたいで。
結果、ものすごくたどたどしい話し方になって、みんなからは「日本語を忘れた外国人みたいだった」って笑われました。「スピーチの内容は感動で涙が出そうなくらい、カッコよかったのに」って。まあ、笑って引退試合を終えることができたのは私らしかったかなと思っています。
── 現在、永里さんは旦那さんとシカゴで生活されていますが、実家のご家族とはどんなふうに交流されていますか?
永里さん:日本にいる家族とは年1、2回くらいしか会えていなくて。帰国しても私があちこち飛び回っているので、落ち着いて一緒に過ごせる時間が少ないんです。ただ、最近は、妹家族のいちばん上の子がサッカーを始めたので、一緒にサッカーをすることもあります。とはいえ、本気でサッカーの道に進んでほしいかどうかは別問題で(笑)。ほかにもいい道があるかもしれないよって、本気にならない程度には教えているんですけどね。
両親とはもともとそんなに話すタイプではないのですが、最近、父への接し方がわからなくなっちゃっていて。子どものころ、父はすごく厳しかったんです。「お父さん」って思ったことなかったくらい。言うなれば「鬼教官」みたいな感じだったので(笑)。サッカーから離れた今は、自分にとって鬼教官ではなくなって、初めて「お父さん」として接することになり、「どうすればいいんだっけ?」って(笑)。
小さいころは、とにかく「父親に認められたい」という思いがあって。父が自分に対して何も指導することがないくらい実力を示して、早く独立したい、自立したいって思っていたんです。あのころは、“父からの自立”が自分のなかで人生のテーマになっていたと思います。そんな時期からずいぶん時間が経った最近は、父との接し方で迷うのって自然なことかもしれないな、これでもいいのかもなと思うようになりました。
取材・文:高梨真紀 写真:永里優季