今年デビュー43年目を迎えた演歌歌手の鳥羽一郎さん。デビュー直後から、刑務所や少年院でも慰問コンサートを毎年のように行っています。それは「保護司」活動としての一環です。歌を披露する相手には隔てはありませんでした。
「保護司になれ」から刑務所の慰問が始まった
── 鳥羽一郎さんは1998年から保護司の活動を始められました。現在、保護司歴27年です。保護司とは、犯罪や非行に陥った人の更生を支援する民間のボランティア。非常勤の国家公務員という立場で、法務省から委嘱を受けます。まず、保護司を志された経緯を教えてください。
鳥羽さん:愛媛出身の実業家・坪内寿夫(ひさお)さんから推薦されたのが、最初のきっかけになります。倒産寸前の企業を数多く再生させ、「再建王」と称された人物です。坪内さんは小説や映画の主人公になるほど有名な方。愛媛を拠点に造船などの事業を手がける来島グループを率い、いっぽうで罪を犯した人の社会復帰にも力を注いでおられました。
その方の80歳を記念し、坪内さんをモデルにした歌を贈ろうという話に。制作された曲が『翁(おきな)』(1994年)で、その後、坪内さんから「更生保護の歌を歌ってほしい」と頼まれてできたのが『愛をみんなで』(1997年)でした。そうしたおつき合いのなか、ある日いきなり、「鳥羽さん、保護司になれ!」って言われたんです。当時は保護司が何なのかもわからなかったんですけどね。
── 歌手活動をしながら保護司を務めるのは大変なことだと思います。
鳥羽さん:一般的な保護司のように、地域に密着して日々の生活で更生を支援するのは仕事柄どうしても難しい。ならば自分には何ができるのか。そう考えたとき、「刑務所の慰問はどうだろう」と、考えが浮かんだんです。私は漁労員、板前修業を経て30歳で念願の歌手デビューを果たしました。憧れだった作曲家・船村徹先生のもとに弟子入りしたのが20代後半。船村先生は刑務所慰問に積極的に取り組まれており、約3年の内弟子時代、数多く慰問に同行していました。
デビューが決まり、忙しい日々を送る当時言われたのが、「お前も余裕ができたら、施設(刑務所)を回るなど(社会貢献を)やったほうがいいぞ」というもの。先生のこの言葉が頭にあり、刑務所慰問を保護司の仕事の一環と捉えて、活動をスタートさせたんですよ。