2025年で芸能活動30周年を迎えたお笑い芸人のはなわさん。売れない時代を経て、大ヒットソング『佐賀県』でブレイクしました。しかし、売れてからは生活が一変。現在は無理のない働き方で、いろいろなことに挑戦しています。

過度な働き方で体に異常が

はなわ
レコーディング風景。名曲『佐賀県』を熱唱!

── 18歳で芸人になるために上京、売れずに苦労した時期を経て、26歳のときに『佐賀県』の曲でブレイクしました。それまでと生活も大きく変わったのではないでしょうか?

 

はなわさん:180度変わりましたね。とにかく忙しくなって、営業先から次の営業先までヘリコプターで移動したこともあったくらいです。それまでは仕事がなかったので、売れたこと自体はとてもうれしかったのですが、その反面、家族になかなか会えないというさみしさもありました。

 

当時は次男が生まれたばかりだったのですが、家には寝るためだけに帰っていたような生活でした。売れない時代には借金もあったので、そのような経済的な不安はなくなりましたが、今度は体が悲鳴をあげてしまい、ある日気づいたら頭の後方部分に大きな円形脱毛症ができていたんです。やっぱり身の丈に合った働き方をしないといけないのだなと思い、仕事の量を調整したり、つき合いで行く飲みの回数を減らしたりするようになりました。

 

── 一時期は佐賀で暮らしていた時期もあったそうですね。

 

はなわさん:東日本大震災を機に、妻の希望で東京から夫婦の地元である佐賀に拠点を移しました。「いつか佐賀で暮らしたい」とはもともと思っていましたが、やっぱり移住してよかったですね。自然が豊かで親戚も近くにいて、物価も安いし人がとにかく優しい。子どもたちも佐賀をとても気に入ってくれました。

 

僕は仕事の都合上、東京と佐賀の2拠点で生活していたのですが、コロナ禍の行動制限などで佐賀に帰れない時期が続いてしまって。半年近く家族に会えないことがありました。やっぱり家族は一緒にいたほうがいいということになり、2021年に再び関東に家族で移り住みました。

 

── 現在の生活はいかがですか?

 

はなわさん:仕事をするうえでも便利な場所だとは思いますが、将来はまた佐賀に戻りたいです。僕の『佐賀県』という曲を聞いて喜んでくれた人も大勢いたのですが、地元の人のなかには「これは本当の佐賀ではない」と怒っていた人もいたんです。迷惑をかけた部分もあると思うので、佐賀の人にいつか恩返しがしたいですね。

 

佐賀はお酒やご飯がおいしいし、いい温泉が多く、焼き物も素晴らしい。でも地元の人たちは、それをあえて外には発信しないところがあるんですよ。そうあることが当たり前のことというか、あえて言わないことが美徳と考えているというか。なので、僕がみんなの代わりに佐賀の魅力をさらに発信できたらいいなと思っています。