結婚25周年を迎えたお笑い芸人のはなわさん。中学時代から好きだった奥さんと、アタックの末に東京で同棲生活をスタートしました。しかし、まだまだ芸人として駆け出しだったこともあり、生活はかなり大変だったそうで…。

妻の病気「自分のせいだ」と責めた

はなわ
名曲『佐賀県』で大ブレイク!

── 結婚25周年を迎えずっと仲のいいご夫婦ですが、奥さんは中学時代から憧れていた先輩だったそうですね。遠距離恋愛を経て東京で暮らすことになったときは、うれしかったのではないでしょうか?

 

はなわさん:当時、僕は芸人を目指すため東京に、妻は地元の佐賀で働いていました。彼女がたまに佐賀から飛行機で東京まで来てくれていたのですが、別れるときに僕がいつもさみしくなってしまって。あるときお金もないのに「帰りの飛行機代は俺が出す」と言って彼女を無理やり東京に呼びました。そして、いざ佐賀に戻る日になって、「渡す予定だった帰りの飛行機代がないから東京に残ってほしい」と彼女を引き留めて、半ば強引に一緒に暮らすことになったんです。

 

ただ、僕が当時住んでいたのはお風呂がなく、トイレも共同、男性しか住んでいないボロアパートでした。そこでしばらく一緒に暮らしていたのですが、あるとき大家さんに同棲していることがバレてしまいました。そのときに言われたのが、「女性がここで暮らすのはあまりにもかわいそうだ」と。さらに、「滞納している家賃は支払わなくていいから出ていきなさい」と言ってもらえて、それでようやくトイレとお風呂があるような普通の部屋で、同棲生活が始まりました。

 

── 奥さんもひと安心されたのでは?

 

はなわさん:そうですね。でも、引っ越して少し経ったある日、妻が「出勤中にお腹が痛くなった」と帰ってきたんです。結局、数日経っても治らなかったので、病院で診てもらうことに。すると、婦人科系の病気が見つかりました。どうやら新しい土地への引越しや身動きがとれないほどの通勤ラッシュなど、佐賀では経験したことのないさまざまな環境の変化に心身ともについていけなくなっていたようで。ストレスが大きな原因となり、病気になってしまったようなんです。

 

これはもう完全に僕のせいだなと思いました。彼女の家族は怒っているし、彼女も佐賀に帰ると言い出して。ただ、僕としてはこのまま帰すわけにはいかないじゃないですか。僕の記憶なので正しいかはわからないのですが、当時、医師に言われたのが、治療にはホルモン剤の投与が必要だが、出産によっても症状が軽減することがあるということでした。病気が原因で子どもはできにくいかもしれないと言われたそうですが、僕としては子どもを授かるのがいちばんいいのではと思ったんです。そうしたらある日妊娠がわかり、そのまま入籍することになりました。実際に産後は症状も落ち着いて、今は元気に過ごしています。

 

── 奥さんのご家族は病気の際も怒っていらしたそうですが、入籍は反対されなかったのですか?

 

はなわさん:あいさつに行きましたが、めちゃくちゃ怒られました。まだ、芸人として売れてもいないのに、結婚して子どもを持つなんて賛成できないと。僕としても子どもができたことはうれしかったけれど、お金については不安が大きかったですね。当時、23歳くらいだったのですが、最初は「25歳までに売れなかったら芸人を辞めよう」と思っていたんですが、「25歳まで」なんて悠長なことは言っていられないと。

 

そんな状況でしたが、妻だけは僕が売れると信じてくれていて、芸人を辞めろとは一度も言わなかったですね。弱音を吐くと「いつか売れるからもったいない」と妻はずっと言ってくれて、僕のことを信じてくれていました。