東京に拠点を移すが仕事が激減

中山功太
東京進出後、仕事が激減してもなお「笑い」を追求し続けた

── 優勝した翌年に東京に活動拠点を移しましたが、やはり「全国区の仕事がしたい」という思いからですか?

 

中山さん:そうですね。「もっと売れたい」という一心で、大阪での仕事がひと段落したタイミングで、東京に引っ越しました。しかし、東京での活動は思ったようにはうまくいかず…。劇場でネタを披露する機会すらもらえず、家賃が払えなくなるほど仕事量が激減してしまい、あっというまに生活が苦しくなっていきました。

 

東京に引っ越したばかりのときは、家賃が20万円のタワーマンションに住んでいたのですが、わずか9か月でお金が底をつき、家賃12万円の部屋に引っ越しすることに。しかし、再び家賃が払えなくなり、10万円、4万9000円と、家賃のグレードを徐々に下げていったんです。

 

── 次第に生活費に困窮して、借金を抱えるようになったとのことですが…。

 

中山さん:当時の僕は、お金に余裕があるわけでもないのに、後輩にご飯をおごることがしょっちゅうでした。というのも、駆け出しのころ、先輩からご飯をおごってもらうことが多かったので、「自分も先輩になったらそうすべき」と考えていたんです。1回の食事で10万円ほど使うことも珍しくなく、「カッコつけ」の気持ちから抜け出せずに、いつしか消費者金融で借金をしながら、後輩におごるようになってしまいました。