今後も受けた恩は忘れずに

──「先輩としての理想像」から抜け出せなくなってしまったのですね。その後は、借金を返済することができたのですか? 

 

中山さん:芸人の仕事と並行してアルバイトをしながら、少しずつ返済していきました。僕の生活や借金を心配してお金を貸してくれる先輩方も多く、「笑い飯」の哲夫さんに突然呼び出されて「消費者金融の借金だけは、すぐに返してこい」と100万円を手渡されたこともあって。

 

一時期は借金の総額が1000万円ほどに膨らんでしまっていましたが、「恩義のある先輩方にお金を返さなければ」と考えられるようになったことで、気持ちを切り替えることができました。その後は後輩におごることを控え、返済することに注力。2024年に、ようやく借金のほとんどを返すことができました。すぐに返せるあてもない僕に、お金を貸してくださった先輩方には本当に感謝しています。

 

僕はこれまで、芸人としての苦楽を味わってきましたが、そのおかげで「人に恵まれている」と感じることができました。ピン芸人としての駆け出しのころも、ネタ作りに苦しみましたが、先輩や後輩が息抜きにつき合ってくれたのでモチベーションを保つことができましたし、借金生活を続けていたときも、先輩たちの存在があったからこそ、「頑張ろう」と思うことができました。今後も、受けた恩を忘れずに、自分の芸を磨いていきたいと思っています。

 

 

芸人としての道を着々と歩み続ける中山さん。ある日、母親から「芸人になりたい」という相談を受けることに。驚く中山さんを尻目に、母の意思は固く、60歳で「アケミ・シャイニイング」という芸名でデビューしました。「母親が後輩」という複雑な関係性に悩むこともあったそうですが、よりよい距離感が徐々に掴めるようになり、今では良好な関係が築けているそうです。


取材・文/佐藤有香 写真提供/中山功太