謝罪行脚するなか『ごくせん3』のオーディションが

── 帰国するころには、心の垢が取れたような感じだったのでしょうか?

 

ユージさん:まさにそうです。ヤンキーでいきがっていた僕は別人のようになって帰国しました。人が何をやっても受け入れて許せるし、逆に自分がしてきたことに対しての後悔が湧き出てきて、日本に帰ったらまず、いままで迷惑をかけてきた人たちに謝りたいと思いました。芸能事務所や仕事関係の人、同級生や地元の友達、学校の先生、そして母親に。

 

── お母さんにはどんな言葉をかけたのですか?

 

ユージさん:日本に帰る日が決まってから、母には電話をしました。これから日本に帰ると知らせたうえで「いままでごめんなさい」と伝えたのですが、母の反応は「全然いいよ」と軽い感じでちょっと拍子抜けしました。「そんなことより日本に帰ったらどこに住むの?」と言われ、地元に帰ったらまた荒れた生活を送りそうでどこに住むか悩んでいると答えたら、「私はいま、埼玉に住んでいて部屋も空いているから、よかったら一緒に住む?」と提案され、甘えさせてもらうことにしました。帰国後、母の家に行くと、自然豊かな環境のなかで家庭菜園を楽しみながら暮らしていました。

 

── 帰国後はまず謝罪行脚の日々を送ったのですか?

 

ユージさん:そうです。まずは芸能事務所ですね。『ごくせん2』のオーディションに受かっていた16歳のときにバイク事故にあい、ドラマ出演はまぼろしに。それ以降、芸能活動から遠ざかっていたので、アポを取ってマネージャーに会いに行きました。その日は社長もたまたまいて、いままでのことを謝罪して「気持ちを入れ替えて生きていくつもりです」伝えたところ、受け入れてくれました。「これからどうしたいか」と聞かれて「実はアメリカにいる父親も俳優だったし、運命を感じている。もう一度芸能の世界でがんばりたい」と言うと「じゃあ、うちでやれよ」と言ってくれたんです。つくづく懐が深い事務所だと思います。

 

── その後、俳優のオーディションを受けるようになったのですか?

 

ユージさん:事務所に復帰してすぐ、なんと『ごくせん3』の放送が始まることがわかり、どうしてもオーディションを受けたいと頼んでエントリーしてもらいました。その結果、無事に3次審査まで進み、受かったんです。

 

ただ僕としては、オーディションの合否がどうなるかより、16歳のときバイク事故で迷惑をかけた『ごくせん2』のスタッフさんたちに会って謝りたい気持ちが強かったです。オーディション会場には通常「よろしくお願いします!」と言って入るところ、僕だけ「すみませんでした!」と言って入りました。当時の制作スタッフさんは僕のことを覚えてくれていて、なぜか「前のほうがよかったな」と言われました。丸くなる前の僕のほうが、ヤンキーらしくて『ごくせん』には合っていたと(笑)。

 

「16歳のころの感じに戻せないか」と言われて、「見た目は戻せます!」と答えてチャンスをもらいました。おかげさまで20歳のときの『ごくせん3』が芸能復帰作となり、そこから38歳になる現在までずっと芸能の仕事を続けさせてもらっています。

 

── 帰国後のお母さんとの暮らしは、以前とは違った穏やかなものになったのでしょうか?

 

ユージさん:そうですね。そこからは親子仲はいいですし、感謝の気持ちも伝えていて。いまは一緒に旅行も行くし、孫とも仲よしです。母は数年前に再婚をして、ひとり息子としては安心しています。

 

取材・文/富田夏子 写真提供/ユージ