『ごくせん2』に合格もバイク事故で芸能活動を中断
── バイク事故というのは、どんな事故だったのでしょうか?
ユージさん:バイクに乗っているときに車にひかれ、ボンネットの上にたたきつけられてフロントガラスが粉々になりました。スピードの出しすぎなどではなく、本当に運悪く交通事故にあってしまったんです。バイクにまたがった状態の足がバンパーとの間に挟まって、すねの骨が半分に折れてしまい、すねから骨が飛び出すほどの重症でした。
足には太い血管が何本も通っているので、大量出血で貧血を起こしかけていましたが、夜中だったこともあり救急車がすぐには到着せず意識がもうろうとしていました。しかも雨が降っていて、雨粒に含まれている細菌が飛び出している骨や肉にかかって感染症を起こす可能性がありました。
通常、感染症にかかった場合、細菌が全身に回らないために足を切断することが多いようなんです。切断のタイミングが早いほど残せる足の部分が長くなり、僕の場合はすねだったので、早ければひざ下で切れると言われていました。足を切りたくなかった僕は泣いて泣いて「切りたくない」と言っていましたが、血液中の細菌の数値を経過観察し、ひざ下で切断できるタイミングは1週間がリミット。ひざから下を切るか上を切るかによって生活のしやすさは変わりますし、さらに細菌が上半身にまで回ると命の危険もあると言われました。
── いずれにしても足を切断しなければならないような状況だったんですね。
ユージさん:そうなんです。1週間経っても細菌の数を示す数値は下がらなかったのですが、僕は「切断がひざ上になってもいいから、もう少し待ってみてほしい」とお願いしました。それで限界まで待ってもらい、今日数値が下がらなかったらもう切ります、と言われた日にギリギリのラインまで数値が下がったんです。
そこから先は医師の判断で、ギリギリだと危ないからやっぱり切断しようという先生もいるそうなのですが、僕の担当医は、ギリギリまで下がったのならもっと下がる可能性があると言ってくれて、結果的にそれ以降も数値が下がって足を切らずに済みました。ただ大けがではあるので、半年間は寝たきり、半年間は車いすで合計約1年の入院生活を送りました。
── 入院中はお母さんもお見舞いにいらっしゃいますよね?
ユージさん:数回来たと思います。そんな状況でも母は「あんたは本当にバカだね」「学ばない子だね」とか批判するようなことしか言わないので、面会拒否していました。
── 心配しているがゆえの言葉なんでしょうけどね。
ユージさん:愛情表現が下手だったんでしょうね。でもそう言われると僕もカチンときて病室でけんかになり、「そんなこと言いに来たんだったら帰っていいよ」と追い出していました。事故を機に、母との確執はもっと深まってしまったように思います。今振り返っても、当時は人生のどん底だったと思います。本当に何をやっても空回りして、うまくいかなかったですね。
取材・文/富田夏子 写真提供/ユージ