バラエティ番組、ラジオDJ、コメンテーターなど多方面で活躍するタレントのユージさん。小学生時代いじめにあったことから、見た目だけでも強くなりたいと、中学校でヤンキーデビュー。芸能界入りも果たし、『ごくせん(第2シリーズ)』の出演が決定したタイミングで乗っていたバイクごと車にひかれる大事故にあい、ドラマ出演はまぼろしに。人生のどん底を味わいます。
「弱かった自分を変えたい」とヤンキーの道へ

── アメリカ人の父、日本人の母との間にアメリカで生まれ、両親の離婚によって5歳で母と日本に。小学生のころは体が小さく、日本語が話せなかったことや「トーマス・ユージ・ゴードン」という名前からいじめにあい、孤独な日々を過ごしていたとのこと。中学校に入学して何か変化はありましたか?
ユージさん:通っていた小学校は私立で高校までの一貫校だったので、そのまま中学に上がりました。でも、外部からの生徒もたくさん入学してくるので、「ここを転機にしたい」「強く生まれ変わりたい」と考えたんです。それで髪型や服装を不良っぽくして、ヤンキーデビューしました。髪にそり込みを入れてズボンを腰パンにしたり、シャツのボタンを開けたり、ネックレスやチェーンをつけたりして、見た目だけでも強くなろうと思ったんです。案の定、中学から入って来た子たちは小学生時代のいじめられっ子だった弱い僕を知らないので、いち目おかれるようになりました。
── ヤンキーは形だけだったのでしょうか?
ユージさん:見た目だけじゃなく行動もヤンキーっぽくしようと悪さをしていたら、体も大きくなり始めたのでケンカしても負けなくなってきて、怖い先輩ともつるみ始めて本物のヤンキーになっちゃいましたね…。でもヤンキーのいいところって、仲間意識が強いところなんですよ。僕はそれまで友達がほとんどいないし、先生には怒られてばかりだったし、シングルマザーの母親は僕を養い教育費を稼ぐために家にはいないし、常に孤独で仲間や家族からの愛に飢えていました。
だから、僕に何かあったら僕を守ってくれるヤンキー仲間の存在が家族のように感じたし、欲しかった愛を手に入れたように感じたんですよね。自分の絶対的な味方ができたことがうれしくて、日本に来てから10年、居心地がいい場所がやっとできたと思いました。
── 学校の先生の反応はどうだったのですか?
ユージさん:毎日怒られていました。でも、小学生のころから自分が悪くても悪くなくても怒られ続けてきたから「どうせ大人は怒るものだ。敵だ」という認識で、中学になってから本当に心配して怒ってくれる先生に対しても素直になれませんでした。まさに尾崎豊の『15の夜』の世界観ですよね。
── ヤンキーになったユージさんを見たお母さんはどんな反応でしたか?
ユージさん:悲しそうにしていました。学校からしょっちゅう呼び出されていましたし、「あんたのせいで仕事を抜けなきゃいけなくなった。どうして私の足ばかり引っ張るの?」というようなことをよく言われていました。
小学校で日本の言葉や文化に戸惑い、いじめられていることを相談できなかった母には怒られてばかりで、学校の先生からも怒られ続けて、もちろん自分が招いた結果ではあるんですけど、当時の僕は単純に「みんな俺のことが嫌いなんだ」と思っていました。
そんなに怒られるなら学校へ行きたくないし、家にも帰りたくないし、ヤンキー仲間と一緒にいたほうがいい、という発想になってしまっていました。その結果、中学2年生になってすぐに学校を退学になりました。
── そこから公立の中学校へ通われたのですか?
ユージさん:そうです。そのころの公立中学は荒れていたので、ヤンキー漫画や映画でよく見る、他校と争いになって相手校がOBを連れてバイクで校庭に乗り込んでくるような風景も実際に目にしました。